2000年7月5日 昨年12月のキャバーンクラブでのライブ、ネットで再放送

 昨年12月14日に行われたポール・マッカートニーのキャバーン・クラブでのギグが、インターネット上で再放送されている。アドレス・日程は次のとおり。

アドレス:http://www.mcy.com

日程:6月30日、7月1日、5日、8日、15日、20日、24日、8月4日、10日
時間:各日ともアメリカ東時間の正午から翌日の正午まで。

2000年6月15 ールが「Songwriter's Hall Of Fame」のプレゼンターとして登場

 6月15日にニューヨークのシェラトン・タワーズ・ホテルで行われた第31回「ソングライターズ・ホール・オブ・フェイム」の授賞式で、ポール・マッカートニーは、受賞者のひとりであるブライアン・ウィルソンのプレゼンテーターをつとめた。ポールはブライアンを「ソングライターであることに、僕はいつも大きな誇りを抱いてきました。そして今夜、ブライアンに賞が贈られますますその思いを強くしています」と紹介。また、スピーチでは、ビーチボーイズのアルバム「ペット・サウンズ」に関わる話をし、ブライアンを「アメリカが生んだ天才のひとり」と賞賛した。
 ブライアンはこの受賞にとても感激し「音楽は私の人生です。みなさんの私へのメッセージは、私の人生には意味があったと思わせてくれました」と語った。
 なお、ブライアンといっしょに受賞したのは、ソウル・シンガーのジェイムズ・ブラウン、ソウル・シンガーのカーティス・メイフィール(昨年亡くなっている)、シンガー・ソングライターのジェイムズ・テイラー、イーグルスのソングライター・コンビ、ドン・ヘンリーとグレン・フライのふたり。さらに、エルヴィス・プレスリーのヒット曲などで知られるジェリー・リーバーとマイク・ストーラーに、「ソングライターの殿堂」の創立者である作詞作曲家ジョニー・マーサーにちなんだ特別賞「ジョニー・マーサー・アワード」が贈られた。
 フィナーレには、ポールをはじめ、出席者全員で、リーバー=ストーラー作品の「スタンド・バイ・ミー」と「カンサス・シティ」を演奏。「スタンド・バイ・ミー」の共作者でもあるベン・E・キングも演奏に加わり、ポールとジェイムズ・ブラウンがマイクを分けあいながらリード・ボーカルをとった素晴らしい授賞式となった。

 下記サイトで、当日の授賞式の模様を見ることができます。

http://news.excite.com/photo/img/ap/songwriters/hall/of/20000616/nyr141
http://news.excite.com/photo/img/r/entertainment/songwriters/20000616/nyk52d

http://news.excite.com/photo/img/r/entertainment/songwriters/20000616/nyk51d

http://news.excite.com/photo/img/ap/songwriters/hall/of/20000615/nyr140

http://news.excite.com/photo/img/r/entertainment/songwriters/20000616/nyk50dr

http://news.excite.com/photo/img/r/entertainment/songwriters/20000616/nyk53d

http://news.excite.com/photo/img/r/entertainment/songwriters/20000616/nyk50d

http://dailynews.yahoo.com/h/p/ap/20000616/us/songwriters_hall_of_fam_5k3.html

http://dailynews.yahoo.com/h/p/ap/20000615/en/songwriters_hall_of_fam_8go.html

2000年6月14日 ポールが「Les Paul賞」を受賞

 ポール・マッカートニーは、第16回テクニカル・エクセレンス&クリエイティビティ・アワード(TEC Award)で、「レス・ポール賞」を受賞することになった。アメリカのサウンド・テクノロジー専門誌「ミックス」が主宰するTEC Awardは、今回ポールが受賞する「レス・ポール賞」と「ザ・ホール・オブ・フェイム」というふたつの特別賞を含む30部門があり、レコーディング技術やサウンドプロダクションにおいて長年に渡りめざましい貢献をした個人、法人、スタジオや製品に対してに贈られるものである。なお、 特別賞以外の28部門は授賞式当日に発表される。
 授賞式は、ロスアンジェルスのビルトモア・ホテルで9月23日に予定されており、当日レス・ポール自身から「レス・ポール賞」がポールへ贈られる。
 なお、もう一つの特別賞、「ザ・ホール・オブフェイム賞」はサム・フィリップスに贈られる。

2000年6月14日 「A Garland For Linda」のイギリス公演日程

 リンダ・マッカートニーのためのクラシック・トリビュート作品集「A Garland For Linda」公演が5月28日から始まっているが、この公演の日程は以下のとおり。出演は、同名アルバムと同じく「ザ・ジョイフル・カンパニー・オブ・シンガーズ」である。

5月28日 マンチェスター/ブリッジウォーター・ホール
6月 9日 ハンプシア州ベイシングストーク/ジ・アンヴィル
8月 4日 ケント州ディール/アスター・シアター(ディール・フェスティバルの一部として開催)
9月21日 イースト・サセックス州ブライトン/セント・バーソロミュー教会(ヒーリング・サウンズ・フェスティバルの一部として開催)

詳しくは、 http://www.garlandappeal.com/ を参照して下さい。

2000年6月12日 ポールのクラシック作品のカバーアルバム「Sir Paul McCartney's Liverpool」が発売

 ポール・マッカートニーのクラシック作品のカバー・アルバム「Sir Paul McCartney's Liverpool」が、カナダのレーベル「Atma」から5月9日にリリースされた。アレンジは4本のフルートだけ用いたというユニークなもので、演奏はフルート奏者4人からなる「ラ・フルーテ・エンシャンテ」。以下のHPから入手可能。

http://www.amazon.com

収録曲は以下のとおり。

2000年6月8日 ポール、「A Garland For Linda」アメリカ公演に出席

 ポール・マッカートニーは、6月3日ニューヨークのリバーサイド教会で開催された「A Garland For Linda」に出席した。この公演は、 亡き妻リンダに捧げた同名アルバムのアメリカ初演にあたっている。ちなみに、会場となったリバーサイド教会は、1998年6月22日にリンダの追悼礼拝が行なわれた場所でもある。
 公演ではシャンパン・レセプションの後、ヘレン・シャピロの指揮により、リバーサイド・フェスティバル・シンガースによるアカペラ・コーラスで、「For No One」「Here There And Everywhere」「And I Love Her」「Good Day Sunshine」、アルバム「A Garland For Linda」に収録されているポール作曲の「Nova」をはじめジョン・タバナー、ジョン・ラター、リチャード・ロドニー・ベネットらの全9作品が披露された。
 この公演の収益はニュージャージー州の エングルウッド医療センターほか4つの病院に寄付される予定である。
 なお、今回の公演は、ナショナル・パブリック・ラジオにより生放送された。

2000年6月8日 ポールの新曲「Maybe Baby」発売

 イギリスで6月2日より公開中の映画「Maybe Baby」サウンドトラック・アルバム「Maybe Baby」には、ポールがカバーしたバディー・ホリーの曲「Maybe Baby」が収録されており、イギリスで6月5日に発売された。なお、日本盤の発売日は未定。
 レコーディングはジェフ・リンのプロデュースのもと、アルバム「Run Devil Run」のレコーディング終了後まもなくロスにて収録されたようだ。
 なお、以下のHPで、「Maybe Baby」を聴くことができる。

http://www.geocities.com/newpaultrack/

 この映画は、ベン・エルトン監督(イギリスのコメディアンで劇作家)の 初監督作品。子どもが欲しくてたまらない夫婦が主人公のロマンティック・コメディで、出演はヒュー・ローリー、ジョエリー・リチャードソン、「ミスター・ビーン」のローワン・アトキンソンほか。

2000年5月29日 ポールがBACS(全英作詞作曲家協会)の名誉会員に

 アイバー・ノベロ賞の授賞式が5月25日、ロンドンのグロブナー・ハウス・ホテルで行なわれ、ポール・マッカートニーに全英作詞作曲家協会(British Academy of Composers and Songwriters)名誉会員の称号が与えられた。この称号は今年新たに設けられたものである。
 アイバー・ノベロ賞は、イギリスの作曲家アイバー・ノベロ(1893〜1951)にちなんで全英作詞作曲家協会が1955年に制定したもの。以来毎年、イギリスでその年もっとも活躍したソングライターに贈られている。ポールとしては、「イエスタデイ」「エリナー・リグビー」「フール・オン・ザ・ヒル」「夢の旅人」「エボニー・アンド・アイボリー」などで受賞した経歴を持ち、1979年には特別功労賞も受けている。
 授賞式では、ポールは、同協会のガイ・フレッチャー会長から賞を手渡されると、「ソングライティングの歴史に名前を刻むことができて、そして今日、こんなにすばらしい人たちといっしょにここにいることができて、とても誇りに思います。これまでにもいろいろな賞を受けましたが、今回の賞はそのなかでも、もっとも名誉あるもののひとつです」と挨拶した。また、「初めてこの授賞式に出席したときのことはよく覚えています。仲間のジョン、ジョージ、リンゴといっしょに、うしろのほうに座っていました。ソングライティングの力を認められたのは、ほんとうにうれしいことでした。それから今にいたるまで、アイバー・ノベロ賞はソングライターにとって最高の名誉であり続けています」と述べた。

2000年5月14日 「Working Classical」が「Classical Brit Award」にノミネート

 イギリスで今年新たに創設された音楽賞「クラシカル・ブリット・アワード」で、ポール・マッカートニーのアルバム「ワーキング・クラシカル」が年間最優秀オーケストラ・アルバム部門などにノミネートされていたが、部門受賞には至らなかった。
 ブリティッシュ・フォノグラフィック・インダストリーが主宰するクラシカル・ブリット・アワードは、クラシック・チャートでめざましい売上げを記録したアーティストや、ポピュラーな人気を博しているクラシック・アーティストを中心に贈られるものである。
 受賞式は5月6日に、ロイヤル・アルバート・ホールで行なわれた。

2000年5月13日 ポール、ジョン・タブナーのコンサートに飛び入り出演

 ポール・マッカートニーは5月4日、ニューヨークにあるセント・イグナティウス・ロヨラ教会で行なわれたクラシック作曲家ジョン・タブナー(1970年代にアップル・レコードと契約していたことがあり、アルバム「A Garland For Linda」にも参加している)のコンサートに特別出演し、「イン・ザ・マンス・オブ・アサイア」という合唱曲のなかで詩の朗読を担当した。
 コンサートの模様は、ニューヨークのFMラジオ局WNYCのウェブサイトを通じて同時中継された。
 ポールは同局のインタビューで、「ジョン・タブナーから手紙をもらったのがきっかけだった。最初は朗読なんて自分にはふさわしくないんじゃないかと思ったけど、僕なら絶対できると言われて、その言葉を信じることにしたんだ。彼はとてもいいやつだからね」と語っている。
 

2000年4月3日 「A Garland For Linda」ニューヨーク初演決定

 「GARLAND FOR LINDA」のアメリカ初演がニューヨーク市のリバーサイド・チャーチで6月3日に行なわれる予定である。
 「GARLAND FOR LINDA"は、聖歌隊によるクラシックの新作品で、イギリスの現代作曲家9人がそれぞれ作品を寄せたもの。ポールの新曲「Nova」も入っている。イギリスでは昨年夏の初演に続き、今年1月にも2回目のコンサートが行なわれ、ポールをはじめ作曲家全員が参加した。今回、ポールが出席するかどうかは不明。
公演の収益は、癌研究の支援団体であるガーランド・アピールに寄付される。

2000年4月1日 「ビートルズ・アンソロジー・ブック」今秋発売へ

 ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの3人が6年がかりで自伝「ビートルズ・アンソロジー」を執筆していたが、このほど大部分が完成し、今秋に発売される見込みである。
 英サンデー・テレグラフ紙によると、自伝は計360ページで、英、米で出版されるほか、中国語を含む数十カ国語に翻訳され、今秋にも発売予定である。定価は約50ポンドで、計10億ポンド(約1,632億円)の売り上げが見込まれている。売り上げは故ジョン・レノンの未亡人オノ・ヨーコさんを含む4人に均等に配分されるという。
 ポールはサンデー・テレグラフ紙に「トム、ディック、友人の叔父などが1963年からビートルズの本を書いているが、事実と違うこともある。この自叙伝が、作り話を一掃し、真実を伝えるだろう」と語っている。
 本の内容は、未発表フォトや解散までの秘話などが明かされており、70年のバンド解散について、「これでおしまいだ。もうおしまいにしよう」とジョンが最初に言い出したことや、解散に反対するポールにジョンが「おまえはばかだよ。おれはバンドを辞める!」と言い、3人が口を開けっぱなしにして青ざめた様子など、生々しい 話が盛り込まれているという。
 また、ビートルズがドラッグをやっていたことや、女性問題、ライバル意識など、新事実も明らかにされているという。ヨーコが与えた影響についても語られている。当時は、ジョンをビートルズから引き離した女性としてヨーコを責めるファンが多かった。
 さらに、この本には最近の話も登場する。4年前、元ビートルズの3人は、17公演で1億1,300万ドルを支払うという申し出を断ったという。

2000年4月1日 ポールが「Blue Mountain Boys」のセッションに参加

 最近、他人のレコーディングの参加に意欲的なポール・マッカートニーだが、先日、エルビス・プレスリーのバックバンドであったスコッティー・モア、D.J.フォンタナ、そしてあのチェット・アトキンスで構成されたバンド「Blue Mountain Boys」とセッションを行い、「That's Alright (Mama)」をレコーディングした。
 このレコーディングの模様は、エルビス・プレスリーを生んだスタジオ、サン・スタジオのドキュメンタリー・フィルムに用いられるとのこと。

2000年4月1日 ポールがジョージのニュー・アルバムのレコーディングに参加

 現在ジョージ・ハリスンがレコーディングしているアルバムのセッションに、ポール・マッカートニーが参加した模様である。詳細は明らかになっていないが、参加したレコーディングが発表されると、ポールにとっては1981年の「All Those Years Ago」以来約20年ぶりのジョージのアルバムへの参加となる。

2000年3月24日 MPLが音楽サイトMP3.comを提訴

 ポール・マッカートニーが所有する音楽著作権管理会社「MPL Communications」が、同社保有の6曲の著作権を侵害したとして、音楽サイトのMP3.comを提訴した。
 MPL Communicationsは訴えの中で、MP3.comがユーザーに送っている楽曲のコピーは、実際にはユーザー自身が所有するCDのものではなく、同社が不法にコピーしたバージョンだと主張しており、これらの曲のMP3.comサーバからの削除と、著作権侵害1件につき15万ドルの損害賠償を求めている。
 MP3.comのサービスは、「MyMP3」で、ユーザーが購入ずみのCDの楽曲をWebで聴けるというもので、ユーザーが自分のCDのコピーを同社に「流す」と、どのPCからでもその曲をダウンロードして聴くことが可能になる。
 MP3.comが訴えられたのはこれが初めてではなく、米国レコード協会(RIAA)は同じサービスを問題にして、1月に同社を提訴したばかりである。 また、別の音楽著作権管理会社Peer Internationalも今回の訴訟に参加している。
 MPLのスポークスマンによると、同社はポールが所有しているものの、今回の訴訟はミュージシャンとしてのポール・マッカートニーには直接関係ないという。

2000年3月23日 ポールが「Rock'n'roll Hall of Fame」の授賞式に登場

ポール・マッカートニーは、3月6日の「第15回ロックの殿堂(Rock'n'roll Hall Of Fame)」の授与式に登場し、殿堂入りを果たしたジェイムス・テイラーを紹介した。
 以下は、ポールのスピーチの概要。
 「当時を振り返ると、いい思い出がたくさんある。ジェームス・テイラーは本当にすばらしいミュージシャンだ。本物のギターが弾ける男というと、いつも頭に浮かぶのが彼だ。新メンバーとして彼を迎えることができ、心から嬉しく思っている。彼もまた、私たちの仲間入りをしたことを喜んでいることだろう」
 ほかに、ボニー・レイト、ラビン・スプーンフル、ムーングローズ、プロデューサーのクリーブ・デイビス、アース・ウィンド・アンド・ファイヤー、エリック・クラプトンが新たに殿堂入りを果たした。

2000年3月21日 リンダ・マッカートニーの前夫が死去

 ポール・マッカートニーの妻リンダ・マッカートニーの最初の夫で、長女ヘザーの実父であるジョセフ・メルビル・シーJR氏(62)が、アリゾナ州の自宅で銃で頭を撃ち死んでいるのを発見された。同氏は地質学者であり、文化人類学者。最近は私的な問題を抱え、落ち込みがちだったという。
 当初は自殺と見られたが、警察はその後他殺の疑いもあるとして捜査していることが明らかになった。
 友人によれば、彼はさまざまな個人的な悩みを抱えていたそうで、リンダの死にも深い痛手を受けていたそうだ。
 後年、彼は「ビートルズのメンバーが自分の娘を引き取ることになったときのことを、人生でもっともつらかったことだった。ポールとはその時電話で話したことがあるだけだが、とても紳士的で好印象だった。ポールは私に「ヘザーを愛しているし父親となって自分の娘のように大切に育てようと思う」と語った」そうだ。また「その後「ライフ」の表紙にリンダがポールと娘と一緒に農場で羊と写っているのを見たとき、これでよかったのだと思った」とも語っている。

2000年3月20日 ポールがモデルのヘザー・ミルズと付き合っているのを認める

 ポール・マッカートニーは3月16日にイギリスの報道陣に対し、「モデルのヘザー・ミルズとはいい関係になっている(We're an item.)と語った。
 ヘザー・ミルズ(31歳)はイギリスでもトップの水着モデルだったが、6年前に白バイにはねられて左足の膝から下を切断、以来ヘザー・ミルズ・ヘルス・トラストを設立して、ボスニアなどの戦場で地雷により手や足を失った人々のためにチャリティ活動を続けている。ポールは、昨年の11月に発売されたヘザー・ミルズのチャリティー・シングル「Voice」のために自宅スタジオを提供したり、バック・ボーカルとギターでも参加して協力したところである。
 
ポールがミルズと最初に会ったのは、今年5月に行なわれた『ミラー』紙主催の「1999年プライド・オブ・ブリテン」賞の表彰式でのことで、ミルズもプレゼンターとして式に出席し、病気のために片腕と片手、両足を切断したヘレン・スミスという学生に賞を贈った。

2000年2月24日 「A Garland For Linda」の記者会見

 1月27日ロンドンの中心地にあるホルボーンのセント・アンドリュー教会で、アルバム「A Garlasn For Linda」発売を記念して、記者会見とコンサート、レセプションが行われた。
 もともと1999年7月にサリー州のチャーターハウス・スクールでプレミアが行われていた「A Garland For Linda」は、癌研究とイギリスの音楽支援の両方のためのチャリティ、ガーランド・アピールに曲を提供した、現代のイギリス人作曲家9名の作品からなるコンサート・プログラムである。
 このプログラムの2回目のコンサートが、まもなく発表される同名アルバムのプロモーションのため、ロンドン中心部、ホルボーンのセント・アンドリューズ教会で、1月27日に行われた。また、このチャリティのために約300万ドルを集める目的で、今後3年間にわたって、世界中でさらに200回もの公演が行われる予定である。
 この日の記者会見では、ポールは、「リンダの死とこのプロジェクトへの参加によって、宗教や神についての考えが変化したかと聞かれたが、そういう風には考えておらず、単によい精神についての「単純で小さなアイデア」に取り組み、音楽を通してリンダへの思いを収めようとしただけだと述べた。曲の最後に「アーメン」が入っているが、サー・ポールは、宗教的よりも精神的な、ずっと若い頃の「エレナー・リグビー」などの作品で表現したような感覚の延長だと考えている」など答えた。
 またコンサートは娘のメアリーに付き添われたサー・ポール・マッカートニーと作曲家たちが席に着き、スマートな白のタキシード姿の指揮者、ピーター・ブロードベントが指揮台に上り、演奏が始まり、ポールの作品「ノヴァ」が4曲目に演奏され、最後はサー・リチャード・ロドニー・ベネットの曲で締めくくられた。