1999年12月22日 アルバム「Run Devil Run」発売後のポールのテレビ出演について

 アルバム「Run Devil Run」が発売されてからの、ポールのテレビ出演・スタジオライブについて、簡単にまとめてみました。

(1)1999年11月6日 「Later With Jools Holland」

 ポールは番組のホストであるジュールズとグランド・ピアノの前に座り、ビートルズの「Hey Bulldog」のビデオを観たあと、短いインタビューに応じ、4曲もの生演奏を披露した。ポールがイギリスのテレビでバンドによるライブ演奏を行なうのは、1993年の「Top Of The Pops」以来6年ぶりである。
 インタビューの内容は以下のとおり。

 「レコーディングはほとんどが一発どりだ。グループとしてライブ・レコーディングしたんだ。このアルバムは、生の、ライブの音をとらえていると思う。」
 「ビートルズについて、個人的に気に入っているところは、なかなか悪くないバンドだったところだ。4人が集まったときに起こる化学反応が決定的な要素だった。ビートルズはまったくタイプの違うメンバーがそろった、興味深いグループだった。」
 「昔のライブは、数バンドが出演するものがほとんどだった。だから、カバーばかりやっていると、自分たちがステージに上がるころには、予定していた演奏曲目が前のバンドに全部演奏されていたりするんだよ。それで僕らは、B面やあまり知られていない曲を選ぶようになったんだ。そのうち、究極の選択として、自分たちで書いたほうがいいんじゃないかという結論に達したわけさ」

●演奏曲
1. HONEY HUSH
2. NO OTHER BABY
3. BROWN EYED HANDSOME MAN
4. PARTY

(2)1999年11月13日 「Red Alert With The National Lotterly」

 イギリスBBC1の新番組であるこのでは、番組の司会であり1960年代からの友人でもあるルルとともにデュエットを聞かせた。
 ふたりの共演が実現することになったのは、ルルが番組の第1回の収録前に自分があがってしまっていることをうちあけたため、ポールが助け船を出すことになったもので、ポール自身「ルルのために番組に出ることにした。昔からの仲間だからね」と語っている。一方ルルは、「ポールとは1964年にハマースミス・オデオンの舞台裏で初めて会って以来、親しくしてもらっているんです。テレビやラジオ番組ではこれまで何度も共演してきましたが、実際にいっしょに歌うのは今度が初めて。いつかはいっしょに歌いたいねって、おたがいにずっと前から言っていたんですが、今回ようやく夢がかないます」

ふたりはアルバム『ラン・デヴィル・ラン』から、ルルのバック・ボーカルで「パーティ」を演奏し、「ブラウン・アイド・ハンサム・マン」ではデュエットをした。

●演奏曲
1. BROWN EYED HANDSOME MAN
2. NO OTHER BABY
3. PARTY

(3)1999年11月15日 「The Big Breakfast」

 イギリスの朝の情報番組に生放送で出演したが、演奏はなく、ニューアルバム「Run Devil Run」についてのインタビューと「No Other Baby」のプロモ放映のみであった。
 しかし、ポールは紅茶を飲むとき音を出しながらすすっておどけたり、Sir Paulと記されたバッジの着用を拒否したり、ジョンとの作曲の話になったときに「Too Bad About Sorrows」のフレーズをサービスで歌ってみせたりと、楽しんでいるようだった。

(4)1999年11月20日 「The Apocolypse Tube」

●演奏曲
1. BROWN EYED HANDSOME MAN
2. NO OTHER BABY
3. HONEY HUSH
4. PARTY
5. LONESOME TOWN

(5)1999年12月3日 「Michael Perkinson」


 BBCテレビのマイケル・パーキンソンのトークショーにポールが出演し、約1時間に渡って、司会のマイケルとのトークや、ポールのスタジオ・ライブが放送された。会場には100人ほどの観客もいて、結構盛り上がっていたようだ。
 マイケル・パーキンソン(64歳)は、これまでにジョンとヨーコを含め1,000人近い有名人にインタビューを行なってきたベテランのトーク番組ののホストである。そしてマイケルは、ポールの1973年のアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』のジャケットに写っている「脱獄者」に扮したひとりでもあり、当時ポールに「私のトーク番組に出てくれるならジャケット写真の撮影に参加してもいい」と冗談を言いながら承諾した人物である。ポールの番組出演に向けては2年間にわたる交渉が行なわれたと伝えられているが、出演が決定したときパーキンソンは、「ポールをゲストに迎えたいと、25年間待ち続けていました。これで私の夢が実現できます」と語った。

●演奏曲
1.HONEY HUSH
 まずは、オープニングはニュー・アルバムからの曲「HONEY HUSH」で始まった。この曲はフルバンドによる演奏で、バックバンドは、ニューアルバムにも参加しているDavid Gilmour (Guitar),Mick Green (Guitar), Pete Wingfield
(Keyboard), Ian Pace(Drums)。

2.TWENTY FLIGHT ROCK
 ビートルズの「デビューの前の生活に着いて聞かれると、ジョージとよく遊んでいた事、自分の家に二人でこもってはギターを弾いて曲を作ろうとしていた事などが披露されました。当時よくやっていた曲の紹介として、
エディ・ コクランの「TWENTY FLIGHT ROCK」をギターで弾き語った。

3.YESTERDAY
 次に「ビートルズ時代に一番記憶に残っているシーンは?」とのマイケルの問いには、アメリカに始めて飛行機で降り立った時の光景をあげていた。「果たしてアメリカでも人気があるのか、本当に自分達は有名なのか」 疑心暗鬼で降り立ったところ、ドアを開けると何千人もの人達が...「あれは何?」と聞くと、「みんな、あなたたちのファンですよ」の言葉。ポールは、思い出してもにんまりといったところだった。
 「ではここで700万回もラジオでかかった名曲をお願いします」の司会に導かれて「YESTERDAY」をギターで弾き語り。曲が終わって一言、「700万1回目のオンエアーでした」とポール。

4.MARY'S SONG(未発表)
 「YESTERDAY」に続いて、長女メアリーが誕生した直後に病院で作った未発表曲を披露した。その病院の壁にピカソの絵の複製がかかっていて、絵に描かれている男が2本の指でギターを弾いていたので、トゥー・フィンガー・コードの曲を作ろうと思って作った曲で、この曲を例にあげて、どのようにインスピレーションがわいて曲ができるかを説明した。
 次にジョンの話。「ジョンはどういう人でしたか?」の問いには、「ジョンはとても慎重な性格だった」と。「彼の過去には辛い事がいっぱいあったんだ。最初のお父さんは3才の時に亡くなっていて、お父さんをよく知らないままジョンは育って、その後叔母さんの家に預けられて、母親は他の男と逃げちゃった。おばさんも家の前で交通事故で死んじゃったり、のちにジョンは結婚したけど、離婚しちゃったし...でもお茶目なところもいっぱいあったし、本当に愛すべき男だったと思う」とポールは語った。
 「ジョンと解散後仲が悪くなりましたよね。」「うん、でも彼がニューヨークに住んでいる頃に遊びに行ったら、ジョンは何の用だ?っていぶかしげだったけど、まぁいいじゃないか会おうよといって僕の方から押しかけていっちゃった(笑)。その後ジョンに子供が産まれて、『最近どう?』『うん、パンを焼いてるんだ』なんて会話をしてた事もあったよ。ある時なんか、僕とジュリアンで『僕が隊長で君は部下だ。僕に着いてこい。(ガンを打つ真似をしながら)バンバンバンなんてやって遊んだりしたんだ。そしたら後でジョンがそっと聞きに来たよ。『今の遊びどうやってやるんだ?』(笑)多分ジョンはあまり子供との付き合い方が分かっていなかったのかもしれ無いね。僕はいつでも周りに子供が多かったから、そういうことは得意だったのかもしれない。」
 「次に解散後なんですが、ビートルズの後を追わなければならない事に、プレッシャーではありませんでしたか?」「もちろんプレッシャーだったよ。だって誰もビートルズを追い抜いた奴なんかいなかったんだからそれはやっぱり大変だった。でもビートルズを追いかける事を取るか、音楽を止めるかのどちららかだと思ったから、ただただ一生懸命に追っかけていた。最後はWINGSも結構いいバンドになっていたし、満足しているよ』

5.THE LONG AND WINDING ROAD
ここでピアノに移って「THE LONG AND WINDING ROAD」の弾き語り。ピアノだけの演奏だったが、とてもシンプルで素敵なヴァージョンだった。
 続いて、マイケルの問い。「さて、今度は奥さんの事ですが、楽器も弾けないとの批判の声が多くありましたがそれに付いては?一緒に音楽をやるのには問題があったのでは?」「色々といわれたなぁ(苦笑)。LINDAは指一本でしかピアノを弾けないとか。でもミニムーグって言う楽器はポリフォニックじゃないから指一本でしか弾けないように作られているんだ。そうやって弾く楽器だったんだよ』(注;鍵盤楽器でも、一音ずつしか音が出ないものをモノフォニニック、和音を出せるものをポリフォニックという。)
 ちょっと専門的な言葉が出たので、会場が沸いた。ポールも少し照れて、ちょっとおどけてみせて、「僕はお医者さんみたいだろ?」と。 「でも後期の方にはずいぶんとLINDAも楽器がうまくなっていたし、とても複雑なパフォーマンスをこなせるようになっていたくらいで、全然問題はなかったね。それどころか、いつでも僕の音楽を支えてくれていたのが他の誰でもないLINDAだったんだ。」
 「そのLINDAさんの追悼コンサートがありましたよね」「うん、LONDONとNEW YORKで二回。もしLINDAが生きていて曲を選べるとしたらどんな曲が聞きたかっただろうかと考えて、弦楽四重奏で彼女の好きだったMY LOVEをやってもらったんだ」ここで、その時の映像が流された。

6.THE NEW YORK SONG(未発表)
7.THE CABERET SONG(未発表)
8.SUICIDE
 その後、最近ニューヨークに行ったときに作ったという2曲について話し、実際に歌って聴かせた。1曲はホテルの部屋からセントラル・パークを見おろしながら作った曲で、もう1曲はその翌日にリチャード・ロドニー・ベネットのショーを観てキャバレーで演奏されるような曲を作ろうと思って作ったという。マイケルがポールに「これまで楽譜の読み書きを習おうと思ったことがあるか」と質問しようとしたところを、間違えて「これまで楽器が弾けるようになりたいと思ったことがあるか」とたずねてしまい、会場中が大笑いになるというひと幕もあった。ポールは「僕をからかってるの?」「楽器ならひとつかふたつくらいできるのもあると思うよ。」と答えた。ポールにちゃかされたマイケルは「音楽を始めるといいよ。私が仕事を世話してやろう。この通りのパブでピアニストを探しているんだ。」

9.ALL SHOOK UP
 「さて、最新のアルバムですが楽しんで作れましたか?エルビスの『ALL SHOOK UP』も入っていますよね?コンサートの予定は?」「今回のアルバムは本当に楽しんでやれた。昔の曲ばっかりのアルバムだからね。そうそう、僕のヒーローだったエルビスの曲も入っているよ。会場は小さいけれど、リバプールのキャバーンで、年内に一回コンサートをやる予定です。アルバムの録音メンバーとね。300人くらいしか入れないけどね。」
 カメラが切り替わると、後ろに最新アルバムのメンバーがずらり。ポールも懐かしいバイオリン・ベースを手にとって、「ALL SHOOK UP」を熱唱。

大拍手で送られてショーは終わった。

(5)1999年12月11日 「Wetten Das ?」

●演奏曲
1. NO OTHER BABY

1999年12月19日 ポール、リバプールのキャバーン・クラブでライブ

 12月14日の夜8時から、ポール・マッカートニーは、ビートルズ時代に出演してから実に38年ぶりに、リバプールのキャバーン・クラブで演奏を行い、ニュー・アルバム「Run Devil Run」からの曲とビートルズの「I Saw Her Standing There」など計13曲を披露した。
 このニュースは、世界中のメディアでニュースとして取り上げ、日本でも産経新聞などが1面にポールの写真付きで紹介し、フジテレビの番組「めざましテレビ」で放送するなど、世界中の話題をさらったことになる。
 なお、このライブの様子は、イギリスのMSNのホームページで生中継し、計5億ものアクセスがあり、回線がパンクしたために300万人しかアクセスできなかったとのこと。また、アメリカのMCYのホームページでは、19日まで再放送し、イギリスBBCテレビでは翌日に完全中継し、日本でも1月1日の深夜0:50から1時間放送する予定である。
 会場内ではレコード店HMVの抽選に当たった150人のファンと、VIPや友人などMPLの関係者、報道陣など、およそ300人がステージを見守ったが、そのなかにはポールの娘のステラや弟のマイケル、アップルのニール・アスピノールらもいた。会場近くのChavasse Parkには巨大ビデオ・スクリーンが設置され、チケットを手に入れられなかった1万人以上のファンのために、ライブのようすが生中継された。

●演奏曲

1.Honey Hush
 紹介のアナウンスのあと、ポールはストラップを肩にかけヘフナー・ベースを構えると、いきなり「Honey Hush」が始まり、ステージは幕を開けた。1曲目から快調にとばしたあと、ポールは「ようこそ、キャバーンへ!ずいぶん久しぶりだけど、またここに戻って来られてうれしいよ」とあいさつ。ライブは曲と曲のあいだに、ポールのひと言ふた言程度のごく短いトークをはさんで次々と進められていった。
2.Blue Jean Bop 
 2曲目を演奏したあとポールが、もうすっかりおなじみになったメンバーDavid Gilmour (Guitar),Mick Green (Guitar), Pete Wingfield
(Keyboard), Ian Pace(Drums)を、ファースト・ネームだけを呼んで軽く紹介。このときには、次の曲のために準備していたアコーディオン奏者のChris Hallも紹介された。
3.Brown Eyed Handsome Man
そのあと、"How are you feeling?"と言って観客に声を掛けた。
4.Fabulous
 イントロがうまくそろわずに、ポールは歌詞の最初の2語までは歌ったものの、「ちょっと待った」とストップをかけ、最初から演奏しなおした。「このバンドでは、うまくいかなきゃ最初からやりなおすことになってるんだよ」と、余裕すら感じさせるポール。 曲が終わったあと、今度は「世界中から観てくれているみんな、ようこそ!」と、インターネットを通じてライブを観ているファンにあいさつをした。
5.What It Is
 
この曲については、バージン・ラジオの特集でポール自身が「リンダが朝食を作っているあいだに作った曲。リンダに「今の曲、いいじゃない」って言われて、これはやらなきゃって思った」と解説していた。この曲を歌い終えて、ポールはますます気分がノッてきたようで、「いいねぇ、いいだろう?」とキャバーンでのライブをみずからも満喫しているようすだ。そして、「厳密に言えば、キャバーンがあったのはここじゃない。(指さして)ほんとうはこの向こうあたり。がれきの下に埋められちゃってるんだ。リバプール市議会もすばらしい決断を下してくれたもんだ。『そうだ、キャバーンを埋めてしまえ』『それはいい考えだ』とか何とか言ってね…まあいいけど」と、キャバーンに対する深い思いを込めての辛口な発言もとびだした。
6.Lonesome Town
 「過去、現在、未来を通じて、愛するすべての人たちに捧げます」と紹介された。
7.Twenty Flight Rock
 
7曲目を始める前に、ポールは「僕がジョン・レノンに会った日…」と言って、この曲に対する特別な思いについてふれた。ふたりが出会った1957年7月6日、ポールがこの曲をジョンの目の前で演奏してみせ、ジョンのために歌詞を紙にかいてやったという話は有名だが、ステージではポールの口から直接、「この曲がきっかけで、僕はビートルズに入れてもらえることになったんだと思う」と語られた。
8.No Other Baby

 演奏後、新曲をやると言った際、観客の誰かが”Satisfaction!”と叫んだらPaulが「お前後ろに下がれ」と冗談ぽく言って会場を沸かす。
9.Try Not To Cry
 ポールのオリジナルで、ポールは意図的に「次の曲は'90年代の曲」と紹介。そもそもアルバム「Run Devil Run」自体がほとんどライブ・レコーディングだったというだけあって、ライブ・ステージでもほとんどすべての曲がアルバムとほぼ同じアレンジで演奏されたが、この曲では、後の編集のためか、ひととおり演奏していったんストップしたあと、リプライズのおまけがついて、コーラス部分がワン・フレーズ歌われた。
10.Shake A Hand
11.All Shook Up
 
この曲の演奏のあと、ふたたびインターネットの観客に向かって「世界中のみんな、楽しんでるかい?」と声をかけるポール。客席から返事が返ってくると、「君たちに聞いてるんじゃないよ」と、カメラに向かってアップでふたたび声をかけた。
12.I Saw Her Standing There

 「次の曲は'50年代でも'90年代でもない…その中間だな」と言って、ビートルズ・ナンバーが登場。後半、少し声が出ない部分があったが、会場は大盛上がり。この曲でメイン・ステージは幕を閉じた。
13.Party
 いったんメンバー全員がステージを去ったあと、アンコールにこたえてふたたび登場したポールとバンド。演奏の準備が整うまでのあいだ、ビートルズがキャバーンで演奏していたときのように観客から「Some Other Guy」「Long Tall Sally」をやってほしいという声がかかったが、「リクエストはやらないんだ」とポール。そして、ポールが「僕のミレニアム・パーティ」と言っていたこのショーは、アルバムでも最後に収められているこの曲でしめくくられた。曲のエンディングで、"I won't stop, I'm not giving up!"と叫んでいたポールからは、「これからもずっとロックを続けていくつもりだ」と以前インタビューで語った言葉が重なって、かたい決意が感じられた。ポールは「See you next time!」という言葉を残してふたたびステージを去った。

●キャバーン・クラブ演奏前のポールのインタビュー
 ポール・マッカートニーは、ライブの前に記者会見を行い、次のように語っている。
「僕はリバプールを愛してる。だから僕はここに帰ってきた。帰ってこれてうれしいよ。今世紀をしめくくるのにふさわしい方法はなにかって考えた。僕にとってはキャバーンこそすべてが始まった場所だ。今世紀をしめくくるのに、ここ以上の場所はない。僕がロックンロールを演奏してね。覚えてるかな…ビートルズがまだビートルズになる前は、ごく普通の、いいロックンロール・バンドだった。だからこそ、僕らは長いあいだいっしょにやることができたし、すばらしくなれたんだ」

●「キャバーン・クラブ演奏」の記事
 キャバーンクラブ演奏関連の記事は、以下のホームページで見ることができる。

McCartney Re-mixing
McCartney webcast not without problems
McCartney webcast sets world record
McCartney performs at Cavern Club
McCartney gets back to where it began
Bugs in Beatle cast
Sir Paul rules cyberworld
http://www.nytimes.com/library/music/121699mccartney-music.html
http://news.bbc.co.uk/hi/english/entertainment/newsid_563000/563944.stm
http://news.bbc.co.uk/hi/english/entertainment/newsid_565000/565924.stm
http://www.itn.co.uk/Britain/brit19991215/121501.htm
http://www.thisislondon.com/dynamic/hottx/top_review.html?in_review_id=237285&in_review_text_id=185581
http://dailynews.yahoo.com/h/nm/19991214/en/music-mccartney1stld_3.html
http://www.eventselector.co.uk/news/945251329_1183.html
http://www.westpress.co.uk/news/stories/news05.html
http://dailynews.yahoo.com/h/p/nm/19991214/en/mdf32082.html

●チケットの販売状況について
 一般向けのチケットは、イギリスの5都市のHMVの店舗で応募券を配り、その中から抽選で150人にあたることになっていた。6日にで各店250枚(合計1,250枚)限定で配られ、どの店でも開店から数分後にはなくなったという。そして、10日にウェスト・ロンドンにあるEMI本社で抽選が行なわれ、当選者75組150人にチケットが発行された。
 ポールのスポークスマンによると、「世界中から、ものすごい反響がありました。日本や南アメリカを含めて、あらゆるところから電話がかかってきました。お礼にヘリコプターを1週間ただで貸してやるからチケットをくれ、という問いあわせまでありました。ポールのワールド・ツアーの仕事はこれまで2回経験していますが、そういう頼まれ方をしたのは初めてです。」とのこと。
 キャバーン・クラブのマネージャー、ビル・ヘックルも12月9日に、「この歴史的なライブのチケットとひきかえなら」と、さまざまなかけひきを持ちかけられたと語った。「私がキャバーンの者だということで、私を買収しようとする人もたくさんいました。なにか交換しようと言ってくる人は、必ずチケットが目的です。」「ポールがキャバーンに帰ってくるというニュースが報じられて以来、世界中から電話が殺到しています。今週のある1日だけで、私の事務所にはファンから1,000本もの電話がかかってきました。」
 ほかには、1万ポンド相当のカリフォルニアでの休暇旅行を無料でという条件を出してきたアメリカ人ビジネスマンなどもいるという。
 そのほかにも、ポールは、チケットをチャリティー・オークションに寄付した。チケットの最後の1組(2枚)を、『リバプール・エコー』紙が主催している癌の子どもたちのためのチャリティ、ビッグ・ピクチャー・アピールへ寄付した。この1組のチケットは、電話で応募したファンに当たるようになっており、イギリス国内からかけた電話のみ有効で、12月10日から24時間受け付けられ、さらに、応募者ひとりが電話を1分間かけるごとに1ポンドが寄付されるしくみになっていた。 「オルダー・ヘイは母が昔働いていた病院だから、他人ごとには思えないんだ。『エコー』のビッグ・ピクチャー・アピールの資金集めに協力できて、さらにふたりのファンを僕のキャバーンでのギグに招待できるなら、すばらしいことだよ」とポールは語っている。

1999年10月10日 ポール、インタビューでバッドフィンガーについて語る

 9月22日、ポール・マッカートニーはニュー・アルバム「Run Devil Run」プロモーションのためアメリカのケーブル・テレビ局VH1の特別番組のために約20分間、VH1の副社長ビル・フラナガンのインタビューに答えた。
 そのときバッドフィンガーのことについても語っており、VH1の番組“BEHIND THE MUSIC”ではバッドフィンガーのドキュメンタリーを制作中で、ポールのインタビューも収録されることになるという。ポールはピート・ハムをほめたり、「Come And Get It」(ポールが提供した曲)のエピソードをいくつか明かした。

1999年10月10日 「Run Devil Run」のオン・ライン・リスニング・パーティー

 キャピトル・レコードとメディアXのサイトでは、10月5日正午(日本では6日午前1時)から11日まで、ニュー・アルバム「Run Devil Run」のオンライン・リスニング・パーティが開かれている。
 パーティでは、アルバムから6曲「Run Devil Run」「Try Not To Cry」「No Other Baby」「I Got Stung」「Brown Eyed Handsome Man」「Lonesome Town」)が流される。
 また、「Oobu Joobu」もプロデュースしたエディー・ピューマーによるポールの最新ラジオ・インタビューと、アルバムのメイキングについての5分間のビデオも放送される。ラジオ・インタビューは10日まで日替りで放送され、メイキング・ビデオは6日から開始される予定である。
 詳しくは、以下のサイトへ。

http://www.capitolbroadcasts.com
http://www.amuZnet.com/amuzlounge.asp
http://hollywoodandvine.com/paulmccartney

1999年10月10日 ポールのニュー・アルバム「Run Devil Run」英・米で発売

 ポール・マッカートニーのニュー・アルバム「Run Devil Run」が予定通り10月4日にイギリスで、10月5日にアメリカで発売された。(日本盤の発売は10月27日の予定)
 今回のアルバムは、通常のものと、ボーナスCD付の2枚組ボックス・セットが発売されている。詳細は以下のとおり。

<ボーナスCD付きボックス・セットの内容>
 イギリス:約40分のポールのインタビューが収録されている。
 アメリカ:(Best Buyで発売しているもの)イギリスと同じ約40分のインタビューを収録。
       (Musiclandで発売しているもの)「Blue Jean Bop」「Lonesome Town」「Coquette」「Let's Have a Party」の4曲のオリジナル・バージョンが収録されている。

1999年9月25日 Firemanのリミックス

 ポール・マッカートニーの変名プロジェクトであるファイアーマンのアルバム「Rushes」に収められている曲「Fluid」が、ニティン・ソーニーによってリミックスされていることがわかり、9月にイギリスで限定発売された(HYDRA 12008)。12インチのアナログ盤で、3つ折りにしただけのジャケットが輪ゴムで止めている。また、数か所にヒンズー語の文字が使われ、内側には消火器で火を消す男の写真が使われている。
 収録曲は以下のとおり。

A面
1.Fluid (Out Of Body And Mind Mix)
2.Fluid (Out Of Body Mix)

B面
3.Fluid (Out Of Body With Sitar Mix)
4.Bison (アルバム「Rushes」と同じバージョン)

1999年9月23日 ポールの差し歯

 イギリスのタブロイド紙『ミラー』が、ポール・マッカートニーの前歯が1本抜けているところを1面で報じ、差し歯だったことを、「Can't bite my love」という見出しで前歯のないポールの笑顔の写真とともに報道した。これは、ポールはニューヨークでステラのために開かれたクロエ主催のパーティに出席したときに撮られた写真を根拠にしている。
 ポールは1966年にバイクに乗っているときに転倒し、前歯を折ってしまい、それ以来ずっと差し歯にしていた。(プロモビデオ「Paperback Writer」等で確認できる)
 今回差し歯が抜けたのは、ステラのパーティの前にニューヨークのある食料品店でフランスパンを買って食べたときだったそうだ。そしてパーティまでに時間がなく治すことができなかったのだという。
 ポール自身は、「どうせまにあわないのに歯医者にあわてて駆け込むよりも、コメディ・タッチでいこうと決めたんだ。2〜3日くらいのあいだ「笑った海賊」になってね」とコメントしている。

1999年9月23日 ポールがPETA主催のコンサートに出演

 9月18日にロサンゼルスのパラマウント・ピクチャーズで開かたPETA主催のパーティー「PETA's Mellennium Gala : Special Tribute to Linda McCartney」に予定通りポール・マッカートニーが出演した。
 最初は多数のゲスト・スターの出席のもとカクテル・パーティが行なわれ、続いて、リンダ・マッカートニー・メモリアル・アワードの表彰式が始まり、パメラ・アンダーソン・リーが受賞した。
 パーティも佳境に入り、スタジオ敷地内に設営されたステージには、B-52'sとクリッシー・ハインドの演奏に続いて、午前0時30分(現地時間)にポールが登場した。デイブ・ギルモア、イアン・ペイス、ピート・ウィングフィールド、ミック・グリーンという、ポールのニュー・アルバム“RUN DEVIL RUN”の参加メンバーを従えて、10月4日発売予定のニュー・アルバム「Run Devil Run」から「Honey Hush」「Brown-Eyed Handsome Man」「No Other Baby」「Try Not To Cry」「Lonesome Town」「Run Devil Run」の計6曲をライブで披露した。ポールはリラックスして、みずからも演奏を楽しんでいるようすだった。
 パーティのようすはインターネットでライブ放送されたが、権利上の理由から、放送されたのはHoney Hush, Brown Eyed Hansome Man, No Other Babyの3曲であった。アメリカではハイライト部分が90分に編集されて、ケーブル・テレビ局VH1で10月16日に放送される予定になっている。
 ちなみに、ニュー・アルバムの日本盤の発売は10月下旬に延期している。
 また、以下のページで、「Try Not To Cry」を聞くことができる。
                 
http://www.wrif.com/realmedia/TRYNOTTOCRY.ram

<パーティー後のインタビュー>
 パーティ終了後、ポールは特別に設営されたテントの下で、「エンターテインメント・トゥナイト」「ハリウッド・アクセス」などのアメリカのテレビ番組をはじめ、さまざまなメディアからのインタビューを受けた。 その主なものを紹介する。

○NBC「Today Show」(9月20日放送)
「アメリカの食品医薬品局はすべての医薬品に動物実験を義務づけている。だけどその一方で、動物を使う代わりにコンピュータ上のモデルを使って行なう実験も進歩を見せている。」
「リンダの名前がつけられた特別賞はすばらしいことだと思う。たぶんリンダは、賞に自分の名前がつけられたなんてちょっとくすぐったい思いをしているだろうけど、とても光栄にも思っているだろう。まじめな話、リンダは革命のリーダーだからね。ひとりの女性が、肉食の大の男たちにまっこうから立ち向かって体制と闘うなんて、並たいていのことじゃない。だけど実際にリンダはそれをやってのけた。恐れを知らない、ほんとうに勇敢な女性だった」
さらに、インタビュアーが前回ポールの自宅スタジオを訪れたとき、ポールはリンダの健康状態について「とても良好だ」と言ったが、それは「たいしたことがないようなふりをしていただけだったのか、それともほんとうに病気に打ち勝つことができると信じていたのか」と問われて、次のように答えた。
「前回リンダの健康状態について取材を受けたときは、たいしたことがないようなふりをしていただけだった。もちろん、リンダが亡くなる直前まで、僕らは希望を捨てなかったけどね。あれほどすばらしくて、たぐいまれな才能をもった女性と30年間も連れ添うことができて、僕はほんとうに恵まれていた。リンダはいろんな意味で、真の偉大なるアメリカ人だった」

○「Entertainment Tonight」
「リンダ亡きあとのことについてはなんとかやってる。リンダも僕にいつまでもくよくよなんかしていてほしくはないだろうから。」

1999年9月15日 ニュー・アルバム「Run Devil Run」のリスニング・パーティー

 ポール・マッカートニーのニュー・アルバム「RUN DEVIL RUN」はイギリスでは10月4日発売予定であるが、発売に伴いこのアルバムのリスニング・パーティが開かれ、ポールも出席する予定である。開催されるのは、9月17日午後8時からロサンジェルスのハウス・オブ・ブルースと、9月22日午後8時からニューヨークのハマースタインである。

1999年9月15日 ポールが「MTV Music Award」にプレゼンターとして出演

 ポール・マッカートニーが9月9日に行われた「1999 MTV Music Award」にプレゼンターとしてマドンナとともに出演した。Lauryn HillがThe Best Video of the Yearを受賞したのを受けて、そのプレゼンターとして賞を手渡した。
 受賞者の発表の時にポールは「ローリン・ヒル」のことを「ローレンス・ヒル」と紹介し、会場の笑いを誘っていたという。

1999年9月15日 ポールのニュー・クラシック・アルバム「Working Classical」の詳細

 ポール・マッカートニー作曲の次のクラシック・アルバム「WORKING CLASSICAL」(前お伝えしたアルバム名は「A LEAF」)の収録曲が明らかになった(以下のとおり)。また、発売日はイギリスで10月18日、日本盤(「マイ・ラヴ〜ワーキング・クラシカル」、東芝EMI/TOCP 65361、税抜2,427円)は11月17日の予定であり、イギリスではアナログ盤(2枚組)も発売予定である。
 収録曲のうち、「A Leaf」「Spiral」「Tuesday」は、ロンドン・シンフォニー・オーケストラの演奏で、それ以外はロマ・マール・ストリング・カルテットの演奏によるものである。
 また、10月16日にアルバム「WORKING CLASSICAL」のワールド・プレミアをリバプールのロイヤル・フィルハーモニック・ホールで行なう計画を立てており、ポールも出席する可能性もある。

  song title
1 Junk
2 A Leaf
3 Haymakers
4 Midwife
5 Spiral
6 Warm and Beautiful
7 My Love
8 Maybe I'm Amazed
9 Calico Skies
10 Golden Earth Girl
11 Somedays
12 Tuesday
13 She's My Baby
14 The Lovely Linda

1,6,7,8,9,10,11,13,14は、ポールのソロおよびウィングスで録音したことがある曲。2は1995年にシングル発売されている。その他は、このアルバムのために書かれた曲である。

1999年8月30日 ポールがPETA主催のコンサートに出演予定

 9月18日にロサンゼルスで開かれる予定であるPETA主催のパーティー「PETA's Mellennium Gala : Special Tribute to Linda McCartney」にポール・マッカートニーが出演し、ニューアルバム「Run Devil Run」からの曲を数曲演奏する予定である。ポールのバンドには、このアルバムに参加したデイブ・ギルモア(ピンク・フロイド)、ミック・ジョーンズらが参加する予定。ポールの他にも、クリッシー・ハインドやサラ・マクラクラン、B-52'sなどが出演する予定。
 また、このライブの模様は録画され、
9月18日午後6時から、アメリカのケーブル・テレビ局VH1と、インターネットではPETAのサイト 
                       
http://www.peta-online.org/gala/index.html 
で生中継される。
                        

 このパーティは、動物を救うための資金集めという目的に加えて、動物の権利保護を求めてPETAに協力してきた人たちをたたえる目的でも行なわれ、ステラ・マッカートニーを含む計18名に「1999年ヒューマニタリアン・アワード」を贈られることになっている。ポールはこの日みずからがプレゼンターとなり、リンダを記念した特別賞「リンダ・マッカートニー・メモリアル」賞を、第1回の受賞者パメラ・アンダーソン・リーへ贈る。
パーティについての詳細は以下のとおり発表されている。

「PETA's・ミレニアム・ガラ:スペシャル・トリビュート・トゥ・リンダ・マッカートニー」
開催日:1999年9月18日
会場:ハリウッドのパラマウント・ピクチャーズ
日程: 午後6時 カクテル・パーティ
          ストリート・フェア開始(動物に優しい会社にスポットをあてたフェア)
          サイレント・オークション開始(マーク・マグワイアのサイン入りボールなど著名人から寄付された品が出品される)
    7時    ビーガン・ディナー(完全穀菜食、卵や乳製品も未使用)
    8時30分 1999年ヒューマニタリアン・アワード表彰式
          ポールより、リンダを記念した特別賞の表彰
    11時   デザート
          ダンス
 一般会費:350ドル(そのほか、特典付きの個人スポンサー用のチケットも各種あり)

1999年8月30日 ニューアルバム「Run Devil Run」からの第1弾シングルは「No Other Baby」

 10月4日(日本では10月8日)に発売が予定されているポール・マッカートニーのニューアルバム「Run Devil Run」は、CD、LP、MD、カセット、ボックス・セットなど、いろいろなフォーマットで発売される予定であるが、このアルバムからの第1弾シングルが「No Other Baby」であることが明らかになり、11月9日に発売される予定である。カップリングは「Brown Eyed Handsome Man」「Fabulous」(CDのみ)。
 この第1弾シングルは、CDでは15,000枚限定のモノラル収録のシングルと通常のステレオ収録のシングルが発売される予定であり、7インチピクチャー・ディスクも発売される。

1999年8月29日 ポール、オークションにリンダの本を提供

 8月28日午後9時からスコットランドのマル島で行われたオークションに、ポール・マッカートニーはリンダの本「LINDA McCARTNEY ON TOUR」と写真集「SIXTIES」を提供した。
 このオークションは、スコットランド西部の海に生息する鯨やイルカを保護する目的で調査活動をしている慈善団体ヘブリディアン・ホエール・アンド・ドルフィン・トラストが、活動資金の調達のため行ったものである。

1999年8月29日 ポールが参加したチャリティー・アルバム、アメリカで発売

 1999年6月1日のニュースでお伝えしたチャリティ・アルバム「MOM 3: MUSIC FOR OUR MOTHER OCEAN」が、予定より1か月ほど遅れて8月17日にアメリカで発売された。(Surfdog/Holywood records/HD 62233-2)
 ポールは1972年のウイングスの作品「Wild Life」を提供した。
 アルバムには最終的に21組のアーティストが参加している。

1999年8月7日 ポールのニュー・アルバム「Run Devil Run」の詳細

 7月20日に発売された「Billboard」紙によると、ポールのロックンロール集のニュー・アルバム「Run Devil Run」の詳細が明らかになり、イギリスで10月4日、アメリカでは5日、日本では8日に発売される予定である。詳細は以下のとおり。

○収録曲
 7月20日に発売された「ICE Magazine」によると、15曲中、1950〜60年代のロックンロール・ナンバーのカバーが12曲、タイトル曲ほか全3曲がポールのオリジナルの新曲となっている。曲目は以下のとおり。
 ちなみに、「I Got Stung」は7月5日に英BBCが一度だけ放送したことがある。「No Other Baby」はポールが1993年に来日したときにサウンドチェックで演奏したことのある曲で、当時テレビで放送された。「Lonesome Town」は今年の4月10日に開催されたリンダ・マッカートニー追悼コンサートで演奏した。

  song title original artist
1 Bluejean Bop Gene Vincent
2 She Said Yeah The Animals
3 All Shook Up Elvis Presley
4 Run Devil Run  
5 No Other Baby Chad and Jeremy
6 Lonesome Town Ricky Nelson
7 Try Not To Cry  
8 Movie Magg Carl Perkins
9 Brown-Eyed Handsome Man Chuck Berry
10 What It Is  
11 conquette Fats Domino
12 I Got Stung Elvis Presley
13 Honey Hush Joe Turner
14 Shake A Hand Faye Adams
15 Let's Have A Party Wanda Jackson

○ニティン・ソーニーにリミックスを依頼
 イギリスの新聞「Daily Telegraph」のサイトが伝えるところによると、ポールは6月にロンドン南部のトーティングにあるニティン・ソーニーの家を訪ね、ニュー・アルバムのなかの1曲のリミックスをソーニーに依頼したという。アジア系のコメディアンでありミュージシャンでもあるソーニーは次のように語っている・
 「うれしかったのは、ポールが『シタールとかなにかアジアっぽいものを入れてくれなきゃだめだ』なんて言わなかったことだ。ポールは僕をそのまま受け入れてくれた。それにポールはふだん、自分の曲を他人に演奏させるときにはいろいろとうるさく注文するんだけど、僕のやり方を気に入ってくれて、ポールの曲に僕のを入れたければそれでもいいし、好きなようにやってくれと言ってくれた」
 「ポールは好きなようにやっていいって言ってくれたんだけど、けっきょく、僕にはやっぱりアジアの血が流れてるってことだ」

○新曲「I Got Stung」ネットでの配信が問題となる
 ニュー・アルバムに収録されているエルビス・プレスリーの1950年代のヒット曲「I Got Stung」を、英BBCが7月5日にただ一度放送したところ、米国の一部放送局がこれをコピーし、インターネット上で配信したため問題になっている。
 ネット上で「I Got Stung」を配信したのは、米デトロイトのロック専門ラジオ局とクリーブランドの姉妹局である。ポールが所属するキャピタル・レコーズの宣伝担当副社長バート・ボームガートナー氏は、「この曲が次から次へといろいろなサイトに流れてしまっている」と語った。
同社は、「I Got Stung」をこれ以上配信しないことで米国の2局と合意したものの、インターネット上でのコピーに歯止めが利かない状態という。

○ニューアルバムに合わせたラジオ・ショー
 ニュー・アルバム発売に伴って、10月20日頃から、英BBCラジオにおいて、ホールがDJをつとめ、ニューアルバム、ポールが昔聞き親しんだ曲などを紹介する約4時間半のラジオ・ショーが企画されている。ポールがその番組で生演奏をすることもあり得るという。

1999年8月7日 ポールの次のクラシック・アルバムは10月下旬頃

 1995年頃から発売が企画されていたポールのクラシック小作品集が、10月下旬の発売に向けて準備が進められている。このアルバムのタイトルは「A Leaf」(企画段階では「Working Classial」)で、1995年3月23日にロンドンのセイント・ジェームス宮殿でロシア人ピアニスト、アニヤ・アレクセーエフによって演奏された「A Leaf」(シングルで発売済み)や、ロンドン・シンフォニー・オーケストラによって演奏されたポールのオリジナル小作品3曲、ビートルズやウィングスのクラシック・バージョンが含まれている。
 また、7月18日にイギリス・サレー州の
Godalmingという町にあるCharterhouse Schoolで行われたリンダ・マッカートニーの追悼クラシック・コンサート「A Garland For Linda」では、イギリスの8人の作曲家(John Tavener, Judith Bingham, John Rutter, David Matthews, Roxanna Panufnik, Michael Berkeley, Giles Swayne, Sir Richard Rodney Bennet)とポール・マッカートニーが作曲したクラシック作品が演奏され、ポールを含む作曲家全員が出席したが、このコンサートの模様を収録したアルバムが、年末頃に発売される見込みである。

1999年8月7日 今年の「Buudy Holly Week」

 1977年から毎年、バディー・ホリーの誕生日を記念して、ポール・マッカートニーの音楽出版社MPLの主催で、9月に「Buddy Holly Week」が開催されているが、今年は、ポールの主催によって、
Rock 'n' Roller Dance Contestesが開催されることが決定した。このコンテストの優勝者には5000ドルが与えられ、ニューヨークで開かれるダンスパーティーで演奏できるという。詳しくは、以下のページへ。
             http://www.mplcommunications.com/buddy/index.htm

1999年8月7日 ポール、狐狩り反対キャンペーンを支持

 ブレア首相の狐狩りを禁止の政策を受け、動物の権利保護を訴えるInternational Fund for Animal Welfareなど3団体が2000年に禁止の実現をめざしてキャンペーン「Deadline2000」をくりひろげており、ポールもほかの音楽、テレビ、コメディ、映画、演劇界のスターたちとともにキャンペーンに参加している。

1999年8月7日 ポール、リバプールの「リンダ・マッカートニー・プレイグラウンド」のオープニング・セレモニーに出席

 リバプールのカルダーストーンズ・パークという公園に、リンダを記念した遊戯場「リンダ・マッカートニー・プレイグラウンド」が7月20日にオープンし、ポール・マッカートニーはそのオープニング・セレモニーに出席した。ポールはプレイグラウンドの名前を刻んだプレートの除幕を行ない、リンダが大好きだったというイングリッシュ・オークを植樹した。
 このプレイグラウンドはリバプール市議会の建設の承認が得られた後、総工費9万ポンドをかけて建設されたもので、リンダにちなんだ名前をつけたことに、市会の代表マイケル・ストーリーが、リンダをしのぶ気持ちを形にしたい旨告げる手紙をポールに送り、ポールが了承したものである。
 ポールの訪問は、本人側からの要請のため直前まで秘密にされていたため、騒ぎにはならなかった。そして当日、ポールを待ちかまえる全員の目が公園の正面入口に釘づけになっているところに、スーツ姿のポールが意表をついて別の入口から入ってきてみんなを驚かせ、「ここでは子どものころよく遊んでいたからね。自分の庭のようなものさ」と、いたずらっぽい笑顔を見せた。プレートの除幕が行なわれたあと、ポールはセレモニーに招待されていた近くのブッカー・アベニュー小学校の生徒や親たちとおしゃべりをしながら公園内を歩きまわった。ポールは、「とっても楽しかった。僕はおそらくだれよりもこの公園を知りつくしていると思うよ。まるで子どものころに戻ったようだった」と語っていた。
 この後ポールはLIPAへ向かい、卒業式に出席した。

1999年7月26日 On Air情報

番組名: 知ってるつもり!? 「ビートルズと結婚した女・・・リンダ・マッカートニー」
放送日時: 1999年7月25日 21:00〜21:54(日本テレビ系列)
内容: 司会:関口宏、水野真紀  ゲスト:浅井慎平、藤田朋子、早見優、斉藤早苗
ポールの妻で、1997年に癌でなくなったリンダ・マッカートニーの生涯について取り上げられた。主に、ビートルズ解散後のウィングス時代および1980年代のポールとリンダの苦悩、娘ヘザーの苦悩に焦点が当てられた。
リンダの晩年の動物保護に対する活動や菜食主義にあまり焦点が当てられなかったのが遺憾なところでもある。

1999年7月26日 ポールの絵画展が終了、次回はイギリスで開催予定

 5月1日から7月25日までドイツのジーゲンで開催されていたポールの初めての絵画展は、大成功のうちに無事終了した。個展を企画した文化イベント事務所のズットナー所長によれば、この絵画展には、予想していた2万人の倍近くの3万7,500人が訪れ、そのうちの30パーセントが海外からの訪問であったという。ズットナー所長はまた、ポールにはヨーロッパやアジアの国々の都市から個展開催についての誘いの声がかかっていることを明らかにした。
 今年後半にはイギリスで開催されることが明らかになり、日程や会場は現在では、未定である。
 ポールの個展について、7月14日に発売されたイギリスの新聞「TIMES」では、次のような論評を掲載している。
「ジーゲンでの個展を観てまず印象づけられるのは、作品が絵画的だということだ。言葉で考えその考えを絵に置きかえたものではなく、実際にまっ白なカンバスに向かって考え、感じたままに描く人の作品であり、観る者が反応せずにいられなくなる挑発的な絵である。」

1999年7月13日 「ビートルズ復活ライブ」の報道はデマ

 イギリスのSunday People紙(大衆向けタブロイド紙)が7月11日付けの記事で、「8月30日に、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの元ビー トルズ3人がリバプールのマージー川に黄色い潜水艦を浮かべ、その艦上で"Yellow Submarine"ただ1曲だけを演奏するという復活ライブをする」と報道し、 日本においても、7月12日の朝日新聞(夕刊)、読売新聞(夕刊)他、スポーツ新聞各紙にこの記事が大きく報道された。
 しかし、アップルの広報担当者は「そんなことは絶対にありえない」と否定している。
 なお、リバプールでは8月30日を「イエロー・サブマリン・デイ」として、映画『イエロー・サブマリン』完全版のプレミア上映をはじめ関連イベントが行なわれることは決定している。

1999年7月13日 ロックンロール・アルバムからの新曲をBBCでオンエア

 ポール・マッカートニーは、ジョー・ブラウンがDJをつとめるイギリスBBCのラジオ番組「Let It Rock」のために、ニューアルバムからの曲「I Got Stung」を送り、曲は7月5日の番組で放送された。「I Got Stung」のオリジナルはエルビス・プレスリーであり、ポールのバージョンは結構ノリがいい感じに仕上がっている。
 なお、この曲は以下のサイトで聞くことができる。
                   http://www.geocities.com/SunsetStrip/Limo/9509/stung.html
                   
http://www.blumeani.demon.co.uk/stung.html
 このニューアルバムは、10月4日に発売が予定されている。