2010年7月6日(火) ポール・マッカートニー英国公演鑑賞旅行の一生の思い出

先週、思い切ってポール・マッカートニーのUK公演、6月26日のカーディフ公演と27日のロンドン・ハイドパークのハードロックコーリングに観に行ってきました。せっかくイギリスまで観に行くので、カーディフ公演では、VIPチケットを取って、サウンドチェックまで見てきました。サウンドチェックでは、日本の某ファンクラブの方達もいて、たくさんの日本人の方が遥々来られていました。

今回のポールのコンサートで達成したい目標は2つ。以前、2002年の大阪公演の時にサインボードでアピールして「Calico Skies」のリクエストに答えてもらえたので(証拠は、公式ライブCD『Back In The World』で、この曲終了後にポールが自分に向かって「For you!」と発する声が入っています)、ポールがまだコンサートでやっていない曲をサインボードでアピールして演奏してもらうこと。もうひとつは、ポールに来日公演をアピールしてくること。

まず前者のリクエスト曲に選んだのは、一度フェニックス公演のサウンドチェックで演奏したことのあるという「Ram On」(アルバム『RAM』に収録)。いまだに一度も演奏したことのない曲です。サウンドチェックで「REQUEST RAM ON」と書いたサインボードを掲げると、ポールは「Oh, request Ram On!」と言って、「Ram On? Ram On?」と言いながらバンドメンバーに確認しているではないですか! そこで演奏されたのは「Dance Tonight」でしたが、なんと、その次に「Ram On」を演奏してくれたのです!しかし、この曲を生で聴くことができたのは、その時点ではサウンドチェックに参加できた30名ほど。

そこで、ライブショーが始まってからしばらくして中盤、ウクレレを持ったときに、思い切って同じボードをポールに見えるように掲げたのです! しばらくポールは私の掲げたボードを凝視し、なんと、「前のフロアのボードからのリクエストです」と言って、予定にはなかった「Ram On」を即興で演奏し始めました! まるで夢のような瞬間です。 
http://  www.you  tube.co  m/watch  ?v=Ijop  xckNmqw

2つ目の目標、来日公演をアピールすること。これは「Hey Jude」のコーラスの時に、ポールに見えるように掲げたのですが、ポールには気がついているものの、どうやら反応しづらいような感じで、なかなか応えてくれませんでした…実は、2002年のLA公演の時も、同じように来日要請アピールのボードを掲げてポールは反応しにくそうだったのですが、その年の11月に来日が実現したのは皆さんご承知の通りだと思います。今回も、11月頃に来日が実現するように祈っています!

そして、日本公演で演奏して欲しい曲の人気投票サイトをやっていますので、日本公演が実現したあかつきには、みんなで1位(もしくは2位)の曲をサインボードでアピールして、実際にポールが演奏してくれることを祈りましょう!投票は今でも受け付けていますので、よろしければお願いします。
http://jash.hacca.jp/cgi/msgenq/msgenq.cgi

※世界的に有名なポール・マッカートニーのファンサイト「The Macca Report」(英語)、国内で最大のビートルズ専門メールマガジン「BEA-MAIL」でエピソードを紹介してもらいました。

2010年6月27日(日) カーディフ〜ロンドン市内観光〜ハードロック・コーリング

   6月27日は朝イチで長距離バスに乗ってロンドンに向かう予定にしていた。ロンドンでは夕方くらいからハードロックコーリングのコンサートを見に行く予定にしていたため、それほど観光時間が取れないが、せっかくの7年ぶりのロンドン、時間の許す限りいろいろと巡りたいと思い、長距離バスは、カーディフ7:00発と8:30発2つを押さえていた。2つ押さえることができたのも、カーディフからロンドン行きのバスThe National Express、何と片道3ポンドで提供していたからだ。朝早く起きられたら7:00発に乗ろうと思っていた。しかしやはり、昨日1時就寝で朝6時前に起床することはできず、結局、起きたのは7時前、まだ誰も起きてきていないホテルのレストランで急いで朝食を取り、ロンドンへの出発の準備をして、8時過ぎにホテルを発った。

 日曜日の朝はカーディフにおいても爽やかだった。昨日は晴天で、イギリスのこの時期としては珍しく暑かったようだが、朝は涼しい。この時期の日本は梅雨の時期でジメジメしているが、こちらイギリスの気候はカラッとしていて、実に気持ちがいい。ほとんど誰も歩いていないカーディフの街中、せっかくなので、カーディフ・セントラル駅前の広場にちょっと寄ってから、バス乗り場に到着した。

ロンドン行きのバスが来て、インターネットで予約したチケットを運転手に見せると、チェックインをしろと言われた。バス乗り場のそばにThe National Expressのオフィスがあり、そこがチェックインの場所となっていた。「ここに荷物を置いて、チェックインしに行っていいか?」と聞くと、運転手に「ダメ」と言われたので、仕方なく重たい荷物を引きずってオフィスでチェックイン。それからバスに乗車した。

カーディフに来て何となく気がついていたけど、ここで初めて気がついたのは、町中の看板が、英語とウェールズ語の2つで書かれていること。しかしバス乗り場では、ウェールズ語しか書かれていなかった看板が存在した。

バスに乗り、ロンドンへ出発。今回のバスはロンドンのVictoria Coach Stationへの直行。昨日のように隣に誰か座っているのではなく、比較的空いていたため、2人席を1人で独占。カーディフからはずっと高速道路で、車窓から見える田園風景も似たようなもの。しかし、イギリスの田園風景は目を見張るものがあり、北海道のような喉かな農場や牧場が広がる。昨年、8月にフランス旅行をしたが、フランス国内の田園風景と似ているものがあった。

ロンドンの到着予定は11:30だったが、日曜日のロンドン行きの高速道路は混雑しているらしく、11:30頃になって、ようやくバスはロンドン市街へ入ってきた。今日はすごくいい天気で、ロンドンの街の風景も青空の下にくっきりとしている。バスは、15年前ほど自分がロンドンにホームステイしていたときによく通っていた自然史博物館があるSouth Kensingtonあたりを経由し、今日のポール・マッカートニーのコンサート会場であるハイドパークの南側の道路を通り、ちょうど12時にVictoria Coach Stationに到着。バスから降りたら、6月末のヨーロッパのわりには、外はかなり暑い。

今日は、ロンドンに在住のE氏とハイドパークのコンサートに見に行くことになっていたので、カーディフからロンドンの長距離バスをご一緒したN氏とM氏とはここでお別れ。自分は早速E氏に電話連絡を取り、一旦E氏の住んでいる部屋へ向かうことにした。しかし最近は日本で使っている普通の携帯電話がそのまま海外でも使えて便利になった。7年前にロンドンに来たときは、まだ日本の携帯電話が現地で使えなくて、それで旅行をご一緒した友人と途中ではぐれたっけ。

E氏の部屋はVictoria Coach Stationから徒歩で10分ほどということで、スーツケースを引っ張り、E氏の部屋の近くにあるスクエアで待ち合わせ。自分がロンドンに来たのが7年ぶりだったので、E氏とも7年ぶりの再会となった。早速E氏の部屋に向かうと、これがヨーロッパらしいフラットの中にあり、なかなかcuteな感じの建物だった。その中で早速ビールをご馳走になり、昨日のカーディフ公演の話に花が咲く。せっかくロンドンに来たので、ビートルズゆかりの地の観光をしたいと思っていたので、一旦E氏の部屋を去り、ホテルのあるパディントン駅に向かった。今日は日曜日の影響か、ロンドン地下鉄の本数が少なく、移動に結構時間がかかる。パディントン駅に到着したら、既に1時を過ぎていた。

駅に到着してすぐに、荷物を預けてもらうためにホテルに向かっていると、いきなり背後から「Jash君!Jash君!」と自分を呼びかける声が。誰かなあと思ったら、昼間に分かれたM氏ではないか! どうやら彼らも今夜はパディントン駅近くのホテルを押さえているらしく、駅近くのレストランで昼食を取っていたところとのこと。こんな外国の土地で、友人にすぐ会うなんて、何とも世界は狭い。

ホテルに到着し、フロントに尋ねると、チェックインできるのは昼の2時からとのこと。この時で1時20分くらいになっていた。2時まで待つのはさすがに時間がもったいないので、早速ロンドン市内のビートルズゆかりの地めぐりに行くことにした。

まずは、パディントン駅から映画『ビートルズがやってくる!ヤァ!ヤァ!ヤァ!』の撮影舞台となったマリルボーン駅に向かった。映画では1番ホームから出発しているので、1番ホームに行って雰囲気を味わおうとすると、何と改札が設置されていて、中に入れない。ここを訪れるのは実は3度目で、前回訪れたときは中に入れたのに。映画のオープニングでビートルズのメンバーが隠れる電話ボックスも跡形もなし。たぶん、ここらへんなのかなあと写真を撮っておいた。

マリルボーン駅の東側のBoston Squareは、同映画のタイトルで、ビートルズのメンバーがファンに追っかけられ、ジョージがこけてしまう場所。ここもビートルズ・ファンだったら押さえておきたいゆかりの地で、ここに行くと、何と、例の歩道が工事中で封鎖されていた… 歴史的な史跡なのに、工事で封鎖するとは…

それから、マリルボーンから徒歩で移動し、Bond Streetへ。まず、7年前にロンドンに訪れたときにあったBeatles Shopの場所へ行った。そこに到着すると、店はまだ健在のよう。しかも今日はポール・マッカートニーのロンドン公演があるということで、店の中は大盛況。日本人とおぼしきお客さんも見かけられた。この店はビートルズのグッズ中心の店なので、珍しいポスターがないかどうか、時間も限られているので、ざっと物色。ジョン・レノンの珍しいポスターを購入。その他のビートルズ・グッズは値段がちょっと高めなので、手を出さなかった。この店はどうやら日本人の方が経営している模様。レジにいているのが日本人で、「5ポンドです」と日本語で声を掛けられてしまった。そこで「この店はどのくらいされているんですか?」と尋ねると「9年くらいです」という答えが返ってきた。やっぱりこの方々はビートルズが好きでロンドンに渡って、こういった商売をしているのだろうか。

それから、Bond Street駅の近くにあるマリルボーン登記所へ。ポールとリンダが婚姻届を提出したところだ。今回のロンドンゆかりの地訪問では、書籍「ビートルズを歩こう!ロンドンゆかりの地究極ガイド」を使って確認しているが、この書籍、結構地図が見づらく、ゆかりの地の場所の住所が掲載されていない。そのため、はっきりとマリルボーン登記所は分からなかったが、地図から見て、この建物しかないでしょうということで、写真を撮った。

Bond Street駅からは、地下鉄Jubilee Lineで、かのEMIアビーロード・スタジオの最寄駅St. Jones Woodまですぐ。ところが、Bond StreetからJubilee Lineに乗ろうとすると、何とBond Street駅から北側は保全中ということで、全線不通となっていた… 仕方なしに、Bond Street駅からPaddington駅まで一旦向かい、Paddington駅からBakerloo Lineに乗って、アビーロード駅まで徒歩で行けると思われるMaida Vale駅へ。しかしこの駅からアビーロード・スタジオまで距離があり、約20分かかってしまう。北側からアビーロード・スタジオに到着。アビーロード・スタジオは普段から駐車場までは入れるが、今日はスタジオの中から何かのpassを下げた人が続々と出てくるではないか。どうやら、今日のハイドパークで開催されるポール・マッカートニーのハードロック・コーリングのVIP客らしく、アビーロード・スタジオ内の見学と、スタジオ内に設置されたバーでの飲食が付いていたようだ。アビーロード・スタジオの中に入れるなら、今日もVIPチケット取ればよかったかな。でも2日続けてVIPチケットはさすがに財政破綻してしまうので、不可能だった… アビーロード・スタジオの白い壁はファンの落書きだらけで、自分もついでに「ポール、Ram Onのリクエストに応えてくれてありがとう!」という落書きを(もちろん英語で)しておいた。

アビーロード・スタジオの外には、「HARD ROCK CALLING VIP TOUR」と書かれた2階建て赤バスが駐車されていた。このVIPツアー客だろうか、その他の観光客だろうか、アビーロードの例の世界一有名な横断歩道は、観光客でいっぱい。皆、横断歩道を渡っているところの写真を撮影していた。自分は1人で行動していたので、横断歩道を渡っている最中の写真は撮影せず。7年前、15年前にロンドンを訪れた時に散々撮影したからいいか。少なくともアルバム『Abbey Road』と同じ角度から撮影しようと思い、交差点のRoundaboutにある銅像よりも少し左に逸れた道路上で横断歩道を撮影。ちょうど、アルバムの写真と同じ夏の時期なので、道路両端の街路樹が青々と繁っており、似たような写真が撮影できていい感じ。

アビーロード・スタジオから、ビートルズ・ファンのおなじみの観光コースとなっているCavendish Avenueのポールの家まで足を伸ばした。どうやら自分以外には、ここを訪れようとする人はいない模様。15年前に訪れたときはポールの家は緑色の扉だったので、最初、ポールの家がどの家か分からなかった。ポールの家らしきところから、普通の人が車で出入りしていたり、外の車から降りた人が家の中に入っていったので、この家はたぶんポールの家じゃないなあと思っていたら、なんと、その家のレンガに、いろいろと落書きがあるではないか。扉が閉じられると、その色は茶色であったが、間違いなくポールの家だった。しかしなんで一般人っぽい人が出入りしていたのだろう? 出入りしていた人は誰だったのだろう? その謎は明かされなかった。しかし、ポールの家の扉が開いているのを初めて目の当たりにして、ちょっとうれしかった。

この時点で、時間はもう3時半になっていた。ここでの問題は、ポールの家からの最寄駅St.Jones Wood駅からの地下鉄が止まっていること。またMaida Vale駅に徒歩で戻るのはしんどいので、ちょうど、Cavendish Avenueバス停からパディントン駅行きのバスが出ていたので、それを使うことにした。しかし20分に1本の割合でしかバスが来なかったため、ここで予想以上に時間を費やしてしまった。

やってきたバス(しかし2階建てバスではなかった)に乗車するには、Oyster Cardを乗車時にかざすだけ。ロンドンのバスも便利になったものだ。バスに乗ると、自分の前に座っていた女性2人組みが、日本語をしゃべっていた。観光客かなと思いきや、触っている携帯が英語だらけだったので、おそらく現地在住の日本人だろう。自分よりも年上っぽいので、留学とかではなさそうだし。

バス内に、日本のように次のバス停の名称が出るようになっているというサービスがあり、パディントン駅で簡単に降りることができた。

E氏との再待ち合わせの予定は16時で、もう時間がなくなってきたので、パディントン駅からホテルに向かいチェックインした。ホテルの部屋はカーディフで泊まった2つのホテルに比べて、かなり狭い部屋。日本でHIS経由で予約した部屋で、1泊7000円程度の部屋のシングルルームなので、こんなものなのか、カーディフで泊まったホテルが良かったのか。ホテルの部屋に入り、ふと気がついたのは、今日、昼食を取っていなかったということ。昨日の晩、カーディフ市内のコンビニSPARで、今日の朝食が取れなかったときのためにと思って買っておいたサンドイッチがあることに気がつき、2つ買ってあったもののうち、1つをホテルの部屋内で急いで食べた。

それから、E氏との再待ち合わせ場所のSloane Square駅へ。待ち合わせ場所に到着したのは、もう4時を過ぎていた。ここで、E氏に合流していた日本人ファンのY夫妻、スペイン人のH氏と初顔合わせ。今日は合計5人で、ハイドパークのコンサートへ向かうことになった。Sloane Square駅からハイドパークまでは徒歩圏内。有名な百貨店HarrodsのあるKnights Bridgeを経由して北上する。今日は6月のヨーロッパにしては日差しが強く、暑いが、乾燥したカラッとした空気が時折気持ちよく感じる。北上しているストリートは、Knights Bridge地区内にあるため、ブランド店が多く並んでいたが、ウィンドウに飾られている服を見ると、皮で全身覆われた服や、変に露出している服が多く、一般受けするような服がなかった。スペイン人のH氏は、そういったウィンドウの商品を見て「Crazy!」と言って大笑いしていた。

 途中トイレに行くために百貨店に寄ったが、男性トイレがなかなか見つけられない。地下1階に入って行き、うろうろして、店の奥にようやくトイレを発見。百貨店の入り口に戻ると、一緒していた女性軍がどこかに行っているようで、見当たらない。と思ったら、1階フロア内をウィンドウ・ショッピングしていたようで、しばらくして合流。

 その百貨店からハイドパークまではすぐの距離。ハイドパーク内に入ると、演奏中の音も聞こえてきて、だんだんとテンションが上がってきた。ハイドパーク内のステージは公園の南東にあり、ステージが北側に向いているよう。我々は南側からハイドパークに入ったので、ステージ裏側となるわけだ。ステージに向かう関係者入り口と思しき場所には、警察や警備員が多くいた。その中で、スカート姿の女性警官がいたが、H氏いわく、イギリスではスカート姿は珍しいとのこと。

 会場への入り口はゲート9で、会場の北側にあり、観客全員がこのゲートから入場するようだ。そこまで歩いて行く途中、壁の隙間から会場内が見えたり、また、万国旗が掲げてあり、日本の国旗もあったりと、いろいろとテンションのあがる要素があった。Y氏が「ゲートに来た!」というと、スペイン人のH氏、その日本語のカタカナ発音が気に入ったようで、ずっと「げーとぉー」とか「こんさーとぉー ちけっとぉー」とか言ってウケていた。

 いよいよゲート9から入場。入場時にカバンの中の荷物チェックがあったが、デジカメやビデオカメラが入っているものの、特に没収されなかった。おそらく、イベントなので、危険物や爆発物がないかどうかチェックしていたのだろう。

 会場内に入ると、一面の芝生が広がる。その中に、車のオブジェや、Official Merchandiseの店が並び、前方遠くにステージが見えた。スペイン人のH氏、車のオブジェに興味があり、その周りをウロウロしてから、Official Merchandiseの店へ。今日のハード・ロック・コーリングは、ポール以外にもいろいろなアーティストが出演しているようだが、やはりメインはポール。ポールのツアーTシャツ(今日の日付のみ入っているもの)、ハードロック限定のTシャツ、そして何故かThe WhoのTシャツなどが販売していた。昨日のカーディフで売っていたようなTシャツ以外のポールのツアーグッズはポスターとツアーパンフしか販売していなかった。今回のツアーのロゴになっているポールの写真は、狼みたいに吠えている表情、そして、サスペンダーを付けて老人くさいということで女性陣には不評で、スペイン人H氏も「このポスター、クリスマスプレゼントにあげるよ」というジョークを飛ばしていた…

 Official Merchandiseの店をあとにし、コンサートを見る定位置を探すことに。この時点で既に5時半を過ぎており、すでにポールの1つ前に出演するCROSBY, STILLS AND NASHの演奏が始まっていた。後日気がついたことだが、このバンドの前に出演していたCROWDED HOUSEの「Don’t Dream It’s Over」という曲が個人的に好きなので、このバンドの最後だけでも聴けばよかったと後悔。席探しのほうは、ステージからは遠いものの、少し小高い丘みたいになっており、シートをひいて横にもなれるスペースがある箇所を確保。この時期のイギリスは5時半になってもサマータイムの影響もあって日はかなり高く、しかも今日は6月のヨーロッパにしてはかなり暑い方で、最高気温は30℃とのこと。直射日光を浴びているので、余計に暑く感じるため、とりあえずペットボトルの水をゲットすることとした。会場内の端にBarと書かれたテントが連なっており、そこまで行って水はないかと尋ねると、ここはアルコールしか置いていないという返事。仕方なしに、隣のホットドッグ屋で、ホットドッグを買わずに、ペットボトルの水を3本買った。他の同行していたメンバーもビールなどを買っていたよう。しばらくシートに座ったり寝たりしてウダウダしていると、CROSBY, STILLS AND NASHの演奏も7時前に終わった。まだ陽は陰る様子もなく、のんびりと過ごしていると、会場に設置されたステージ両端のスクリーン、我々の目の前にある後方スクリーンが、ポール写真や花で飾られた絵に変わり、Twin Freaksの音楽が鳴り始めた。ポールの登場予定は7時半。予定時間の7時半になると、そこでぴったりポールがステージに登場したようで、会場全体が湧き始めた! 今まで座って前座バンドを見ていた観客達は、一斉に立ち上がった!

(続く・・・)

2010年6月26日(土)  カーディフ観光〜サウンドチェック〜カーディフ公演

 朝5時に起床。9時に就寝したので、よく眠れた方だろう。朝5時でもう既に外は明るくなっていた。

 朝食は7時からで、カーディフでは同じホテルを2連泊で押さえることができなかったので、早速荷物の整理をしていて、ゆっくりしていたら2時間過ぎてしまった。朝食はホテルバイキング。イギリスの料理は評判よくないけど、ホテルで出てくるバイキング料理は、パンやスクランブルエッグ、ハムなどいたってスタンダードなものなので安心。長い1日のために、たくさん朝食を摂った。

 現地カーディフでは、別ホテルに宿泊している友人N氏とM氏に合流する予定だったので、荷物をN氏・M氏が宿泊しているホテルの部屋に預けてもらうことにし、彼らと朝9時頃合流。そこからカーディフのマクドナルドに寄ってコーヒータイム、N氏らは、別で現地で合流する日本人のファンの方とチケット受け渡しをしないといけないということで、午前中は別行動、午後1時に再度マクドナルドに集合しようということになった。

 

午前中、4時間くらいの時間ができたことになったので、まずはカーディフ・マーケットで、朝の町の雰囲気だけ味わう。いろんな店が出店されている市場だが、別にそこで何も買うわけではなかった。そこからカーディフ城に向かう途中のカーディフのメイン・ストリート、メアリー・ストリートでは、何か行進(?)のために一般車が通行止めになって、歩道の両端に柵が設けられ、歩道に人だかりが出来始めていた。何だろなと思ってカーディフ城に向かうと、なんと城の入場ができないじゃないか… 係員の方に事情を聞くと、今日は海軍の行進があって、チャールズ皇太子がカーディフ城を出発するので、12時以降になったら城に入れるよと教えてくれた。そこで予定を少し変更し、カーディフの中心を流れる川を通るウォーターバスに乗り、カーディフベイに行くことにした。今日の天気はすごくよく、しかも西欧らしいカラッと乾燥した空気で、公園の日陰に入ると実に気持ちがいい。バス乗車場のある公園をしばらく散歩した。

 30分ほど待ってウォーターバスに乗車・出発。カーディフベイまでは30分程度。歩いても30分程度で行ける距離らしいが。ウォーターバスに乗っている途中、係員が「このホテルにポール・マッカートニーが泊まっている」と教えてくれたが、あまり豪華なホテルではなかった。

 カーディフベイでウォーターバスを下車すると、そこは小規模な遊園地になっていた。ちょっと歩くと人がいっぱい。どうやら海軍の行進団がカーディフ城を既に出発して、一部カーディフベイに到着しているようだった。報道陣のカメラも多く、カーディフベイの中心に行こうとすると一歩も進めないような感じだったので、カーディフベイでの観光をあきらめ、カーディフベイからカーディフ中心街Queens Street行きの唯一の電車に乗って、中心街に戻ってきた。そこで12時を過ぎていたので、急いでカーディフ城に行き、30分ほどカーディフ城内を観光。カーディフ城の上まで上り、市内一望した。そこからは、今日のコンサート会場であるミレニアム・スタジアムも大きく見えた。城内をうろうろしていると、20人ほどの日本人観光客集団を発見。この時期にこの地で日本人観光客は珍しいだろうから、おそらくこの集団はビートルズ・クラブ(BCC)のポール・マッカートニー観戦ツアーの人だろうと思っていた。(後ほど写真で確認するとそうだったが)


 無事に昼1時に集合場所のマクドナルドに間に合い、そこでN氏、M氏以外に、ポール見るために単独でカーディフに来ていた日本人ファン2人に出会う。その2人は今からカーディフ城に観光しにいくということで、N氏、M氏と昼食。カーディフの飲食街で、カレー&ポテトというものを頼んだが、ポテトの量が多すぎてゲンナリ… 腹ごしらえもとりあえず済んで、昼2時集合となっていたVIPチケット(Hot Sound Package)の待ち合わせである7番ゲートに向かった。

 そのゲートの前では、早速、ポール・マッカートニーのツアーグッズ売り場が開いていた。集まってきていた人もまばらで、商品を吟味しつつ余裕で買うことができた。結局、ツアーTシャツ(20ポンド)を2枚、お土産用にキーホルダー(5ポンド)、ポールの写真(2ポンド)を購入。

それから、ゲートの前で待っていたら、ぞろぞろと日本人ツアー客20人くらいが到着。そのツアー客の中に、ポールファンの知人がいて、久々の再開となったのでご挨拶。それ以外のツアー客に知っている人はいなかった。ポール関連のTシャツを着ている人が多く、一番目を引いたのが、ウィングス72年ツアーのTシャツを着ている人だったが、約40年も昔のTシャツがきれいな状態で残っているわけがないので、おそらくお手製のものだろう。

 今回のVIPチケット、930ポンドもしたわりには、事前にチケットは送付されて来ず、簡単な案内PDFファイルを添付したメールが1通来たのみ。大丈夫かと不安に思っていたが、会場入り口で名前だけ確認されて入場することができた。これって、本人確認もしてないので、偽って入れるんじゃないかと不安に思った。主催者のEvent Travelのセキュリティー、結構甘い…。インターネット経由で申し込んだ僕らの後に、日本人の某ファンクラブのツアー団体約20名ほどが続いて入場。ツアー団体には添乗員さんがいて、その添乗員さんはポール・マッカートニーに全く興味のない模様。もったいないなあと思っていたが、VIPゲートからツアー団体が入場したときに、添乗員さんとはお別れ。

 VIPゲート入り口では、コンサートチケット、Hot Sound Packageの首から下げるプラカード、2種類のリストバンド(Hot Sound Packageのものと、アリーナ席入場の印のもの)が渡された。コンサートチケットを見ると、ブロックA6のB列席。真ん中からステージに向かって1つ左側のブロックの(おそらく)2列目。事前に聞いていた噂とおり、悪いチケットではないが、VIPというほどのチケットでもない。今回Hot Sound Packageに同行してくれたN氏は、別ルートでど真ん中のブロックA5の前から11列目のペアチケットを持っていたようだが、別に日本から来ている知人の方に譲ることにし、Hot Sound Packageを申し込んでいなかったM氏に託すことにした。

 VIP入場の手続きを終え、予想されていた荷物チェックも全くなく、そのままミレニアム・スタジアムへ入場。スタジアムは天井が開閉式になっているが、入常時は天井が閉まっていた。スタジアムの廊下でしばらく待たされることに。ここからスタジアム内が見え、スタッフがステージの準備をしている様子や、ライティングのテストをしている様子が伺える。この時はカメラ撮影OKだとは知らなかったので、今とばかりにスタジアム内の写真撮影を行った。15分ほどして、いよいよアリーナ席へ移動。アリーナでは、ブロックB5の一番前の席で待たされることになった。ここでギャラリーはHot Sound PackageのVIPチケットと日本の某ファンクラブを含めて約40人弱。しばらく待つと、金髪の40代後半くらいの女性スタッフ(おそらくMPLのスタッフ)から、サウンドチェックを聴くに際しての注意事項の説明があった。「写真撮影はOK。ビデオ撮影は禁止。ダンスはOK。あと20分弱ほどでポールが登場します。楽しんでください!」とのこと。この時点で時間は昼の3時だった。待っている間時間があったので、会場内の様子、ステージ等を撮影。参加者同士、会場をバックに自分の姿を撮影するなどして時間を過ごしていた。

 しばらくすると、ポールのバックバンドのメンバーが登場。早速演奏を開始した。もちろんボーカルはなしなのでジャムっぽい曲が続いたが、1曲目はどうやらFlaming Pieのリズムで演奏している模様。それからバックバンドメンバーの各個人のフレーズ練習が続いているようで、キーボードのウィックスはEleanor Rigbyを練習。それに合わせて、メロディーラインを何とラスティーが弾いているではないか!

 そこでいよいよポール・マッカートニーが登場。ギャラリー30人ほどは大盛り上がりだが、いつもコンサートで登場する時は会場が沸くので、それに比べればパワーは少なく、本当にポールが登場したのか?という感じ。でも実際にポールがステージに登場し、各メンバーとハグを交わしているではないか! ステージの両側に設置されたスクリーンの撮影・上映リハーサルも兼ねており、スクリーンにも大きくポールが写っている! ポールの第一声は「I’m talking to the gallery!」。どうやらスタッフも盛り上がっているらしく、ポールは僕らギャラリーと直接コミュニケーションを取りたいといった感じだった。

 ポールは手ぶらで登場したが、下手からローディーのジョン・ハメルが、サイケデリックペイントを施したレスポール・ギターを抱えてポールのもとへやってきて、ポールはいよいよギターを抱えた! そこで立て続けに3曲Honey DontMatchboxBlue Suede Shoesを演奏。Honey Don’tのイントロ・ギターのフレーズはポール自身が演奏。1回目のリード・ギターのおなじみのフレーズもポールが演奏で、その後にウィックスのキーボード・ソロ(ピアノの音)、2番目を歌った後にHoney Don'tは終了。Matchboxは、1番のワンフレーズを歌ったあとにいきなりポールのリード・ギターに突入、2番のあとはラスティーのギター・ソロ、それからウィックスのキーボード・ソロに続くが、ウィックスのソロの音は珍しくオルガンの音を出していた。Blue Suede Shoesはエルヴィス・プレスリーのバージョンに近い。この曲も1番の後はポールがギター・ソロを弾き、その後に続いてウィックスのキーボード・ソロ(音はピアノの音)。サウンドチェックの時間が少ないためか、この3曲は少し短めのバージョンだった。

 ポールはヘフナーのベースに楽器を持ち替え、Jamを始めた。Aマイナーの曲でリズムがゆっくり目なので、Letting Goをベースにしたジャムセッション曲なのだろう。「Swinging in the ocean, swinging in the sea, here we are in West Wales」というフレーズを繰り返す。途中にラスティーのギターソロなどが入る曲。ベースの曲は1曲で終了し、ポールはピアノに移動。ポロロンとポールが弾き始めた曲はCelebration。クラシック・アルバム『Standing Stone』の最後に収録されている曲で、1980年の未発表サントラ『Rupert And The Frog Song』ではSea Melodyという曲名で収録されていた曲。サウンドチェックではおなじみの曲。ポールの弾くピアノに合わせて、あとのバンドメンバーが合わせていく感じ。この曲が終わるとポールは「Thank you, classic fans!」と一言。Celebrationが終わったと思いきや、いきなりポールはI'm In Love Againを弾き始めた! オリジナルはバディー・ホリーで、ポールは1988年のアルバム『CHOBA P CCCP』でカバー。これは最近のサウンドチェックでも演奏していなかった曲で、アルバムではギターを弾きながら歌っていた曲なので、ピアノを弾きながら歌ったのには正直驚いた。今日のサウンドチェックのレア曲の1曲。間髪を入れずに次はNineteen Hundred And Eighty Fiveを演奏。今回のツアーからセットリスト入りした1973年のウィングスの曲。本番と同じ構成で演奏された。この曲が終わったところで、サウンドチェックに参加していたVIP客で、サインボードを掲げていた人に向かってポールが一言。「I need a scope to read that!」(ボードを読むには双眼鏡がいるね。)

 ポールはアコースティックギターに持ち替え、Midnight Specialを演奏。ちゃんと「If you ever go to Cardiff」と歌っていた。それからアコースティックギターを使ったJam曲に移るが、ここで1つの出来事が。ポールに向かって「My mum offered me the Hot Sound Package with this soundcheck and asked me to give you a kiss from her」というボードを掲げていた女性が、MPLのスタッフに誘われて、ポールがボードを読める距離まで前に行った。ポールはギターを弾きながら、そのボードを読み、頷いたが、観客達の盛り上げもむなしく、それで終わってしまった…

 その次はThings We Said Today。これは2003年に演奏していたバージョンや、2005年ツアーの公式DVD『The Space Within Us』のボーナストラックとして収録されていたバージョンと同じ。それからポールはマンドリンに持ち替え、またもやJamを演奏。この曲はおそらく適当に演奏されている曲と思われるが、ポールが器用にマンドリンをアドリブ演奏しているのには驚き。この曲が終わった後、自分は思い切って「Request RAM ON」と書いたボードを掲げると、ポールは声を出して「Request RAM ON!」と読み上げて、しかも「Very cool!」と言ってくれた! それからなんと、ポールはバンドメンバーと「Ram On? Ram On?」と言って確認しているではないか! おそらく推測するに、サウンドチェックもおおよそ演奏する曲を決めていたが、予想外の曲がリクエストで来たので、演奏できるかどうかメンバーに確認していたのだろう。VIP参加の客からも「Ram On!」と言う声が飛び交う。

 そして演奏されたのは、Dance Tonight! やはりこれはサウンドチェックで演奏すると決めていた曲なんだろう。本番と同じ映像がバックスクリーンに流れる。それからポールは楽器をウクレレに持ち替え、演奏されたのはRam On! 自分のリクエストが叶った形となった! Ram Onは本番よりも1フレーズ多く演奏。続いて演奏されたのはSomething。この曲も本番と同じ演奏がバックスクリーンに流れる。

 ポールはウクレレから、デトロイト・レッドウィングスのステッカーの付いたエピフォン・テキサンのアコースティックギターに持ち替えた。いつもコンサート本番ではYesterdayを演奏するギターだが、チューニングはYesterday用に1音下げられている模様。ここで演奏されたのはなんと、ボサノバグループ、ボサ・リオの1969年のヒット曲Do You Know The Way To San Jose? 私は知らない曲だったが、欧米ではスタンダードナンバーになっているようで、他の欧米人のグループには大ウケしていた。それから、このアコースティック・ギターでのお決まりの曲Yesterdayを演奏。

 アコースティック・コーナーが終わり、マジックピアノがステージに運ばれてきた。そこでポールがマジックピアノに座りポロロンと弾き始めたのは、You Never Give Me Your Moneyのイントロ。しかも、2002年のツアーでやったようなエレピの音ではなく、ピアノの音を出して弾き始めた。それから、2002年のツアーでマッサージの話をしながらThe Fool On The Hillの前で弾いていた音色を出し、しばらくポールはマジックピアノを弾いて遊んでいる様子。しばらくこの曲が続くのかと思いきや、イントロだけで終わり、そして突如、Lady Madonnaを弾き始めた。この曲が演奏し終わる頃には4時半頃になっており、普段はもう少しサウンドチェックをやっているようだが、今日のカーディフ公演では、前座にマニック・ストリート・プリーチャーズが控えているようで、いつもより早めにサウンドチェックが終了した。
 実は自分は、入り口の荷物チェックがなかったことをいいことに、このサウンドチェックを録音しようと、後ろの座席に見えないように録音機を仕掛けレコーディングしていたが、目ざといMPLのスタッフが見つけたようで、いつの間にか没収されていた… 友人のN氏いわく、途中でMPLのスタッフ、ブライアンが「このレコーダーは誰のだ!」と怒鳴っていたようだが、私はそれに気がつかず…

 サウンドチェックの終わりしな、MPLの金髪の女性スタッフが、チケットの束を手に持っていることを発見。そこでサウンドチェック終了時に女性スタッフに「チケット交換して欲しい!」と近づくと、あっさりとチケットを交換してくれた。しかもそのチケット、一番前ど真ん中のブロックA5のAA列。ということは、これはど真ん中の最前列? A列の前にAA列がある? ともかく、そのチケットを見ると値段が書いていないようで、一般では絶対に手に入らないチケットが入手できたということで、興奮は最高潮に達した! 僕らがチケットを交換しているのを見て、某ファンクラブのツアーで見に来ていた知り合いのS氏もチケットを交換してくれたよう。自分の右隣の席のチケットをゲットしたようだ。

 サウンドチェック終了後、VIPツアー客は、ミレニアム・スタジアムの4階にある別室「Dragon Suite」に案内された。自分とN氏は別々にこのHot Sound Packageのコースを申し込んだが、会場のスタッフから、日本の某ファンクラブの団体の一員と間違われた模様。ファンクラブの団体と同じ席に一旦案内されたが、後で別席ということに気づいた。ところが、自分とN氏と全く別のテーブルに配置されており、これもややこしく、一緒だからテーブル一緒にしてくれと交渉するのもやっと…
 この時間くらいから一般客の入場が始まった模様。初体験のサウンドチェックと、予期せぬチケット入手で最高潮の興奮状態に達し、しかも渡英までのまる1日の疲れ、時差ボケのせいもあり、一気に疲れが吹き出してきた… とりあえず別室のカウンターでドリンクを頼もうとすると、1杯3ポンド50セントかかった… おかしいな、フリードリンクじゃないのかなと思ったら、5時になったらフリードリンク、それまではお金がかかるということだった。なんともケチな… 5時になってから、VIPコースHot Sound Packageのディナーコースが運ばれてきた。ポール・マッカートニーのツアーの食事と言えば、ベジタリアン料理で統一されていると思ったが、出てきた料理はチキンも含まれていた。料理の味はまずます。でも、数万円もするコースで出てくる料理のレベルじゃないなと思った。フリードリンクの時間も始まり、他の外国人VIP客はワインをガンガン飲んでいる傍ら、水ばっかり頼んでいる自分に飽きたのか、カウンターのスタッフの方が、水の入った瓶をまるまる「Save your legs!」と言いつつ渡してくれたのは、親切心なのか何なのか・・・

 VIP室にあるソファーで、今回のVIPツアーをご一緒したN氏と談笑していると、どうやらスタジアムの方から演奏が聞こえてきた模様。もちろんポール自身の演奏ではなく、今回のカーディフ公演では、地元のミュージシャンで最近国内で人気が出てきているというマニック・ストリート・プリーチャーズ(マニックス)の演奏だった。早速演奏を聴きに、下の階に降りていこうとするが、ミレニアム・スタジアムの構造が複雑で、下に降りるのにも迷ったり、スタッフに聞いたりして一苦労。アリーナに到着して、自分の席近くに行くと、今日の昼間に出会った日本人ファンの方2人に出会う。その方達と立ち話をしていたが、まわりのアリーナ席はまだ席がうまっていないようで、マニックスも、ポールのバンドの機材にカバーが被されているステージの空いたスペースで演奏しているようで、何か可哀想だった… でもこの時は、スタジアムの屋根は開いていて、明るい太陽の光がスタジアム内に挿し込んできているので、野外ステージのような感じで気持ちようさそうにマニックスも演奏していた。しかし、演奏が終わるごとの拍手はパラパラ… 前座というのは、地元でもこんなものなのかなと思ってしまった。それから、マニックスが演奏している最中だったが、自分の席の位置を確認するために、A5ブロックのAA列を確認しに行った。A5ブロックの一番前まで行って気がついたのは、なんと、A5ブロックには、AAA列まであるということ。つまり、最前列がAAA列で、2列目がAA列、3列目がA列、以降4列目B列だった。ということは、自分の席は前から2列目。しかし、SEAT12というのはど真ん中、ポールの真ん前の席ということが判明。惜しい、もう少しで生涯初めての最前列ど真ん中になるところだったのに… しかし、ど真ん中2列目というのもすごい!

 申し訳ないが自分もマニックスについては全然知らないので、本番のポールの演奏に備え、4階のDragon Suiteに戻ってゆっくりすることにした。再びソファーに座ってN氏とゆっくりしていると、気がつくと時間は7時を過ぎていた。予定では、7時半頃にポールのコンサートが始まるということで、7時20分くらいにDragon Suiteを出発し、再度自分の席に行くことにした。

 自分の席に着くと、もう周りはほとんど人が着席していた。自分の右隣のチケットをゲットしたS氏も既にスタンバっていた。自分の右2つ隣の席2つが空いたままだったが、しばらくすると、カップル(?)が着席。S氏が興味深く、そのカップル(?)にどうやってチケットをゲットしたかと聞くと、彼らはその席のチケットを持っているのではなく、空いているからどさくさにまぎれて座りにきたとのこと… おそらく、例のMPLの金髪女性スタッフがここのチケットを持ったままで、誰にも渡してなかったんだろう… そうこうしているうちに、なんと例のMPL女性スタッフが自分のところに駆け寄ってきて、「さっきのレコーダー、返すからしばらく待っといて」って言われた。(結局、レコーダーが返ってくることはなかったが…)

 Twin FreaksのGoodnight TonightやComing Upが流れ始め、両サイドに設置されているスクリーンには、ポールの写真や諸々が流れ始め、そろそろコンサートが始めるぞという雰囲気になってきた。The Endのダンス・バージョンが流れ、この曲が終わると、そこで照明が暗くなり、間もなくポール本人がヘフナーベースを抱え、上手(ステージ右側)から登場! 同時にバックバンドのメンバーも登場! 会場は最高潮に達した! 今日のポールの衣装は、黒の詰襟に赤のラインが入ったもの。今回のツアーでも何回か着ているもの。

 ポールが何も話さないうちに、今回のツアー「Up And Coming Tour」恒例のオープニングVenus And Marsのアコースティック・ギターのアルペジオが、ステージ向かって右側にいるバンドメンバーのブライアン・レイによって弾き始められた! いよいよコンサート開始。キーボードのポール・ウィックス・ウィッケンズが弾くフルートのフレーズは、オリジナルよりワンフレーズ早く、ポールの低音ボーカルに乗せ、ドラムのエイブ・ラボリエル・ジュニアが1オクターブ上のユニゾンでハモる! それからオリジナル通り、Rock Showに突入! 約35年前のウィングス時代のコンサートと同じオープニング構成だが、いきなり1オクターブ半以上でシャウトしないとといけないポールの声がちょっと苦しそう。でも、ポールの声の調子はいいみたいだ。今日のコンサートは元々7万人収容のスタジアムで、5万人席が用意されていたみたいだが、席はほぼ埋まっていて満員の模様。広い会場なので、ポールのボーカルが会場内をエコーする。ポールの弾くヘフナーベースに注視すると、ウィングス時代の映画「Rock Show」と同じく、オープンコードを使って弾いているが、ヘフナーのフレット間隔が狭い影響もあって、ポールの指運はほとんど動かず、楽々弾いているような感じ。さすがベースを長年弾いているだけのプロだなと関心した。「Rock'n'roll at the hollywood bowl」の歌詞の後で、オリジナルより省略されて、掛け声のフレーズに突入。ポール自身も「オイ!」という掛け声に合わせて左手を上げる。自分のいる客席はアリーナ前列ということもあって、根っからのポール・ファンが多いようで、みんなが「オイ!」という掛け声を発している! ポールの左手の動作は、映画『Rock Show』と同じだ!と興奮して見ている最中、いきなりJetに突入。これまでは黄色っぽいライトが照らされていたが、青っぽいライトに変わった。

 Jetが終了したあとの第一声は「スワイコピ、クレソー!」。おそらくウェールズ語での挨拶なのだろう。(すいません、何て言っているかわかりません) 間髪入れずにAll My Lovingがスタート。ポールらが演奏している後ろのバックスクリーンには、ビートルズ時代のポール、映画『ビートルズがやってくる!ヤァヤァヤァ!』のポールが映し出される。All My Lovingが終われば、昨年発売されたDVDのタイトルと同じように、「Good Evening Cardiff」とポールが挨拶。「今日はちょっとだけウェールズ語をしゃべるよ」とMCでポールが発言すると、観客の歓声は高鳴った。するとポールは「A little bit, little bit」とちょっと言い訳? 今回ツアーも、ポールは訪れる土地に応じて現地語を交えて曲間をしゃべるようで、ウェールズ語を使って「クレソー!」と挨拶。挨拶が終わると、また間髪入れずに次の曲Letting Goに突入。イントロでポールは「I feel like letting go」と言う。オリジナルのウィングス・バージョンよりもイントロが少しだけ短い。All My Lovingでは三連符のギターは、右側のブライアンが担当したが、Letting Goのリード・ギターもブライアンが担当。ただし途中のギター・フレーズは、ステージ向かって左側のラスティ・アンダーソンが弾いていた。Letting Goが終了すると、ポールは襟なしスーツの上着を脱いだ。今日も下はピンク色のシャツだ。「ウェールズに戻れて嬉しいよ! ちょっと時間をちょうだい。」とポールがしゃべると、ポールはステージの右側・左側それぞれに移動し、観客に向かって手を振った。そうすると、観客の歓声が高鳴る。その次はGot To Get You Into My Life。ステージバックのスクリーンには、昨年、ビートルズ・リマスター盤と同日に発売されたビートルズ初めてのテレビゲーム「The Beatles Rock Band」でのポールのポリゴン絵が映し出される。この曲は高音部が多いが、ポールの声はちゃんと高音部まで出ており、調子がいい様子。「今日は楽しみに来たんだよね? 次はファイアーマンからの曲」と言って、Highwayを演奏。ステージ・バックのスクリーンには、ジャケットにも使用されていたポールが描いたと思われるFiremanのロゴが映し出される。ここまでポールが使っていたのが、ビートルズ時代から使っているヘフナー・ベース。ここで、サイケデリック・ペイントの施されたレス・ポール・ギターに持ち替え、最近のライブでの定番ウィングス・ナンバーLet Me Roll Itへ。今回のUp And Coming Tour、ウィングス時代のアルバム『Band On The Run』からの曲が多いので、自分は、友人からもらったこのアルバムのジャケットを持ってきていて、Let Me Roll Itの時にポールに気づいてもらおうと、一生懸命掲げた。最近のツアーでは、この曲は、ジミー・ヘンドリックスの「Foxy Lady」とのメドレーで演奏される。次の曲のためにピアノに移ったポール、ジミー・ヘンドリックスとの思い出を語る。「ジミー・ヘンドリックスとの思い出といえば、1960年代、サージェント・ペッパーズのアルバムを発売したときの話、金曜日にアルバムを発売して、2日後の日曜日にジミーのライブを観に行ったら、もう、サージェント・ペッパーズを演奏していたよ。これだけグレートなトリビュートはなかった。」 そう言ってThe Long And Winding Roadが始まる。この曲のアレンジはビートルズ・バージョンや1990年代のライブでやっていたバージョンよりもテンポが早く、ドラムのエイブ・ラボリエルJrのスネアも効いている。2002〜3年のツアーでは、ポールは結構アドリブのピアノ・フレーズを入れていたが、今回の演奏では、あまりアドリブを入れていない模様。

 次はNineteen Hundred And Eighty Five。今回のツアーからウィングス・ナンバーが増え、観客の中でも、両手でWサインを作っている人が多い。自分のいるマニアック・ファン・ゾーン(笑)は、こういう曲で大盛り上がり。この曲も他のウィングス・ナンバーと同様、イントロを省略、3番も省略されていた。ウィングス・ナンバーが続きLet 'Em Inへ。今日はポールはこの曲でアドリブ・ボーカルをきかせており、「Brother Michael」の箇所は高音シャウト。確か2002年日本公演の最終日の大阪でも、アドリブ・ボーカルをきかせまくっていたので、ポールも調子がいいのだろう。「Thank you Cardiff, thank you Wales」と言ってLet ‘Em Inが終わったあと、「ジョージとよくハーリックまでヒッチハイクしたよ。」とウェールズに関する思い出話をすると、「今日でこのスタジアムは11年目の誕生日だ。」と発言、ラスティーがHappy Birthday To Youの1フレーズを弾き応報。「今、世界中の関心は南アフリカにいっちゃってるけどね。ところで、次の曲はリンダのために作った歌。今日は観客の恋人全員に捧げます」といつものMCから始まるMy Love。2002年日本公演の時は、ラスティーは試すような感じでリード・ギターを弾いていたが、今回は堂々と各フレーズを伸ばして弾いていた。My Loveが終了し、ポールはピアノから定位置へ。「バックはどうだい?」というポールの声に、スタジアムの後方が「イェー!」と反応。ここからはポールはアコースティック・ギターに持ち替えて演奏。まずはI'm Looking Through You。ラスティーもアコースティック・ギターをもっているが、「You’re not the same」の後のアコースティック・ギターのフレーズがあまり聞こえなかった。ポールの声の調子はいいみたいで、高い声もシャウト気味だったが出ていた。続いてTwo Of Us。イントロのアコースティック・ギターのフレーズはポールが弾くが、ミスなのか、音の伸びがなかった。2003年のツアーでも演奏していたこの曲、ポールはビートルズのオリジナルとは異なり、ジョン・レノンが歌っていた下のパートを歌う。本当のメロディーは下のほうで、ビートルズ時代は、声質の関係でジョンが歌ったんだろうと想像が付く。観客がイェー!と叫ぶと、ポールもそれに反応してイェー!と言う。ポールのコンサートは、こういったポール自身と観客の駆け引きがおもしろい。「1960年代、人権問題が話題になっていたとき、黒人の女性を応援するために書いた」と言ってBlackbirdを弾き始める。気がつけば、ステージはポール1人だけだ。ステージのバック・スクリーンには、白い樹枝の絵、ステージ上部には、地球儀をかたどった風船が浮かぶ。「言いたい時に言わないと後悔するときってあるよね。そういう気持ちを歌った曲。」と言ってHere Todayが始まる。この曲もポール1人の弾き語り。私が2002年ロサンゼルス公演を観に行った時、「As for me, I still remember how it was before」の箇所で、C→Fにコード変わるところをポールは間違えていたが、今回は間違えることなく演奏していた。この曲が終わると、観客から大きな拍手が続いた。「ムードを変えよう」とポールが言って始まったのは、Dance Tonight。この曲でポールはマンドリンに持ち替え、他のバンドメンバーもステージに戻ってきた。アルバム・バージョンでは1番の最初からベースが入っていたが、ブライアンの弾くベースは、2コーラス目だった。バック・スクリーンの絵、仲睦まじい家族の写真、花の写真など、なんともほのぼのとしている。ポールはアコースティック・ギターに持ち替え、次のMrs. Vandebiltにいこうとすると、アリーナ前の方の観客が大声でポールに対して呼びかけていた。その観客に対しポールは「Get out!」と言ったら、観客は爆笑。結構キツイギャグだと思うのだが、欧米ではウケるのだろうか。「ウクライナで数年前にやったらウケたんだ」と言って、続いてEleanor Rigbyを演奏。この曲はポールのアコースティック・ギター、ポール・ウィックス・ウィッケンズのキーボードだけなので、ドラムのエイブ含む他のメンバーは、前に出てきてコーラスだけを担当。

 この曲が終わって、今日のカーディフ公演のハイライト、ミラクルが起こった。いつもなら、次の曲がジョージに捧げるSomethingなので、ポールは楽器をウクレレに持ち替えた。ここで、リハーサルの時にポールに読み上げてもらい、見事リクエストが叶ったRam Onを演奏してほしいと思い、私は思い切って、リハーサルと同じ「Request Ram On」と書いたサインボードをポールに見えるように掲げた! すると、すぐにポールは私の掲げたサインボードに気がついて、しかも凝視し、びっくりした表情をしているではないか。ここで、もっとプッシュしたいと思い、前から2列目ど真ん中というポールに声が届く好位置にいたので、「Ram On Please!」と叫ぶと、ポールはいきなり「フロントのボードからのリクエストです」と言って、Ram Onを弾き始めた! 当初のセットリストにはなかったのは、当日のセットリスト表を見れば明らかで、いわゆる嬉しいハプニングが起きた! ローディーのジョン・ハメルは、Something用に一度ポールの後ろに用意したアコースティック・ギターをステージ脇に引き上げたが、バンドメンバーはポールのあとに続き、Ram Onの演奏に乗っかった。リハーサルの時は、1番→2番→口笛のパート→3番 と演奏していたが、本番のステージでは、口笛のパートまでだった。観客も次はSomethingなのに、一体何が起こったのか理解できないようで、しかし、サインボードのリクエストに応えたというのは分かっていたようで、自分より前にいた観客のほとんどが、自分の方に振り返り、自分の掲げているサインボードを確認しているのは、何とも気持ちがよかった! 2002年大阪公演でCalico Skiesのリクエストに成功し、2003年ではMaybe I’m Amazedの復活リクエストにも成功、これで私がサインボードでのリクエストに成功したのは3度目。2002〜3年の今までのリクエストは次の日に実現していたが、今回、その場でリクエストが実現した! 隣のN氏いわく、ポールがリクエストに応えて即興で演奏したのは初めてではなかろうかと。私も、そういったリクエストは記憶にない。

 (注:後日談 2010年8月12日に行われたインタビューで、ポール・マッカートニーはこう話しています。” ‘Ram On’, which really came about because I had my ukulele for the beginning of the tribute to George, 'Something', and started messing around on ‘Ram On’ and saw a sign in the audience so thought, 'Yeah, why not.' So that's started creeping its way in.”(和訳:Ram Onは、ジョージ・ハリスンのトリビュート曲としてSomethingをやろうとしてた時に出てきた曲なんだ。ウクレレを爪弾いているときに、観客の中に「Ram On」と書いたサインボードが見えたので、これをやるっきゃないと思って、そして弾き始めた曲なんだ。)

 私は興奮状態が抑えられないままの状態が続いたが、ポールはRam Onが終わると、即座に「ジョージって、fantasticなウクレレ奏者だったって、みんな知っているよね? ジョージに拍手を!」と言って、観客の拍手をかき立てた。Somethingは、昨年発売されたライブDVD『Good Evening New York City』と同じアレンジで、前半はポールのウクレレの弾き語り、後半はバンドでの演奏となる。前半の弾きがり部分では、観客もポールに合わせて大合唱。この曲が終わると、ポールは再びヘフナー・ベースに持ち替えて、Sing The Changesを演奏。演奏後に再度ポールは「Thank you Cardiff, thank you Wales」と感謝を述べていた。続いてBand On The Run。ここで私は再び『Band On The Run』のLPジャケットを掲げると、ポールはそれに気がついてくれて、指をさしてくれた! 二つ右隣の席を横取りした青年も、それに気を良くしたのか、ポールに向かって、私の掲げるジャケットを指差すなどして猛アピール。ステージのバック・スクリーンには、このアルバムのジャケットが大写しになる。「昨年から演奏し始めた曲だけど、カーディフでやるのは初めてだよ。コーラスがあるから参加してね。」とポールが言って、始まったのはOb-La-Di, Ob-La-Da。オリジナルのビートルズ・バージョンに加え、曲の終わりに、演奏なしで観客だけで歌う箇所が追加された。その時に、いつもはポールを捉えていたポールの目の前のカメラが観客の方に向けられ、ステージのバック・スクリーンに観客が大写しになるが、前曲に引き続き『Band On The Run』のLPジャケットを掲げていた私の姿が見事スクリーンに写し出された! Ob-La-Di, Ob-La-Daが終わると、飛行機のジェット音が聞こえ、Back In The USSRが始まった。久々のロックンロールの曲、演奏の音量も、まわりの観客の興奮度も大きくなった。ドスン・ドスンと演奏の音がお腹の中まで響く。「この曲はモスクワの赤の広場でやったんだ。たくさんの人がビートルズから英語を学んだようなんだ。例えば、ロシアの防衛相に会ったとき、最初に買ったレコードはLove Me Doだって言われたよ。別の政府の人間は、ビートルズから英語を勉強した。Hello Goodbyeってね。」とポールがしゃべる。次はポールはレス・ポール・ギター(Let Me Roll Itで使っていたサイケデリック・ペイントのものではなく、gold topモデル)に持ち替え、I've Got A Feelingのイントロ・フレーズを弾く。この曲はボーカルの高音部が多い影響か、途中所々で1フレーズ追加されているが、今日のポールの声の調子はいいみたいで、「Oh yeah」の箇所は、高音シャウトを利かせていた。ビートルズ・バージョンに加え、リプライズ部分を挿入。この部分ではポールがアドリブ・リードを弾きまくる。この曲が終わると、ポールの「Oh Yeah」の発声を観客があとに続いて繰り返す。ここでポールは「これは、次の曲のレコーディングの時に実際に使ったギターなんだ」と言って、ギターをエピフォン・カジノに持ち替えた。このギターをツアーで使うのは、実に1979年以来。最近では、2008年のライブ8で使用したことがあるが、ツアーでの登場は久々となった。元々右利き用のギターを上下反対に弦を張り替えて使用しているので、ツマミは上部に、ツマミをポールが調整すると「ガリって」いて、このギターが本当に古いものだとわかる。そしPaperback Writerを演奏。バンドメンバーとのコーラスの掛け合いもバッチリだ。演奏終了後、「このギターはエピフォン・カジノって言うんだよ」とポールが説明を加えた。ヘフナー・ベースに持ち替えA Day In The Lifeを演奏。途中でポールは少しベースを間違えていて、この曲ではよく間違えるようで、歌いながら弾くのはなかなか難しいよう。ミドルの「ア〜アアア〜」の箇所では、スタジアムの観客が前から後ろまで大合唱。そのため、ポールはこの部分を歌っていなかった。このミドル部分が終わると、いきなりGive Peace A Chanceの突入。終わりの部分では演奏が止み、観客のコーラスだけに。まるで、1990年リバプールでこの曲を演奏した時の再現だ。観客の興奮も最高潮に達したまま、ポールはさっとピアノの方に移り、Let It Beのイントロを演奏。終わると、立て続けにLive And Let Dieになる。この曲は導入部分は静かなバラードだが、観客のほとんどが、ミドル部分になると花火や爆竹が鳴り響くことを知っており、びっくりしないように、予め耳を塞いでいる。ステージから観客の方に向いているガードマンも、それを知っているようで、耳を塞いでいる観客を見て、思わず笑みがこぼれる。ミレニアム・スタジアムの屋根は閉じていたため、大きな花火は上がらなかったが、ステージ上から炎、ステージの上からの花火で、観客の興奮は前曲か最高潮のまま。Live And Let Dieが終わると、マジック・ピアノがステージに運ばれ、ポールはマジック・ピアノに座り、MCもしないままで、Hey Judeを歌い始める。導入部分から、観客は大合唱。大合唱は、後半のリフレインの部分まで続く。「Na Na Na Na」のコーラス部分、ポールのコンサートでおなじみとなった「男だけ」「女だけ」と言ってコーラスを促す部分があるが、今日は「男だけ」の部分を2回繰り返していた。この曲のリフレイン部分では、ポールはずっと観客の方を見ているので、ここぞとばかりに、私は「Come back to Japan」と書いたサインボードを掲げ、ポールに来日をアピール! 私の席からは絶対にポールに見えているはずなのに、ポールはどうやら私のボードに反応しにくいようで、黙殺されてしまった… しかし、韓国人であるポールのツアー・オフィシャル・カメラマンは気がついてくれて、私のボードを見て、にっこり笑ってくれた! この曲の終わる時「You’re Great!」というボードに差し替えてポールに見せると、ポールは喜んで、私のボードを指差して「You’re Great!」と言ってくれた! 元々、この曲の終わりにポールは観客を指差して「You’re Great!」と繰り返すが。

 この曲でコンサート本編が終了。ライトダウンして、数分も立たないうちに、ポールがアンコールに答え、ウェールズの国旗を持って登場。観客からは、サインして欲しいためのものか、LPレコードが3枚ほどステージに投げ込まれた。ポールがサインに応じなかったのは当然のことであるが。アンコールからは、ポールのMCは少なくなり、ガンガンと曲を演奏していった。まずはDay Tripper。ポールはヘフナー・ベースを演奏。この曲のベースのフレーズは印象的だが、最初、オリジナル通り7フレット目でフレーズを弾いていたポール、なんと後半では、オープンの0フレットを使って、1オクターブ低く演奏していた。「楽しんでくれているかな?」と発言し、マジック・ピアノに座ってLady Madonnaを演奏。ここまでアップテンポの曲が続くと、観客もかなり盛り上がっている。「Listen to the music playing in your pretty head」とオリジナルにはない歌詞でシャウトして歌う。間髪入れずに「One more」と言ってGet Back。さすがに68才のポール、開始からほぼ2時間半が経過して疲れてきたのか、Get Backの高音部で音を外していた。この曲のリード・ギターはビートルズではリズム・ギターのジョンが担当していたように、今回はメインではないブライアンが担当。ここで再び私は「Come back to Japan」のボードを掲げた。Hey Judeの時と同じように、ポールには反応してもらえなかったが、ポールのオフィシャルカメラマン(韓国人)が私のサインボードに気づいてくれて、指を立てて、にっこりしてくれた! これで1回目のアンコールが終了。再びバンドメンバーはステージをあとにした。

 2000年代のポールのコンサートは、2回アンコールが仕組まれており、このツアーも例外ではない。再び「Thank you。ウェールズに戻ってきたよ」と言いながらポールとキーボードのウィックスだけが登場。ポールは、デトロイト・レッド・ウィングスのステッカーが貼られたアコースティック・ギターを持って登場。1965年のエド・サリバン・ショーで、Yesterdayを演奏したエピフォン・テキサンのアコースティック・ギターだ。厳かにYesterdayが演奏される。演奏が終了すると、ポールは小声で「Thank you, thank you」と言いながら、右に左に丁寧にお辞儀をして挨拶。ヘフナー・ベースに持ち替えたと思ったら、いきなりHelter Skelterのフレーズが。ポール、ラスティー、ブライアンとステージ中央に寄り添い、ヘビーなこの曲の演奏を始めた! ポールも最後の力を振り絞るかのように、高音シャウトを出していた。コンサートもクライマックス。おなじみ、ポールが「みんな、家に帰らないといけないよ」と言うと、観客は揃って「No!」と返事。ポールが最後にクルーに感謝します、バンドメンバーに感謝します、観客に感謝しますと言ってSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band / The Endが演奏される。この曲ではポールはレス・ポールのギターに持ち替え、ラストのThe Endでは、ポールとラスティとブライアンの3人のギター・バトルが繰り広げされる。ベースは不在なので、ウィックスが代用。この時に、ポールに感謝の気持ちを伝えようと、用意してきたボード「Okini, Thanks」を掲げた。「Okini」はもちろん大阪弁で、2002年の大阪公演の時にポールが連発していた言葉。2003年のロンドン公演で同じボードを挙げて、最後にポールに直接「Okini!」って言ってもらったやつだ。今日はポール自身から「Okini」の発言は聞かれなかったが、ツアーのオフィシャルカメラマンが気がついてくれて、写真に撮ってくれた!

この曲が終わると、バンドメンバー全員がステージ前に出てきて、手をつないでお礼をした。それからあっという間にバンドメンバーがステージを去っていった。

以上でポールのカーディフ公演は終了。ポールがステージから去った後に吹雪が舞い散り、我々はステージ近傍の席にいたので、頭の上にたくさんの紙吹雪を浴びた。紙吹雪は青と赤と白の3色で、それぞれの国の国旗に合わせて色が選択されているよう。今回はイギリス公演なので、ユニオンジャックの色が選ばれたようだ。まわりはお土産にと、この紙吹雪を拾って持って帰っているようで、自分も日本公演でやったように、お土産に紙吹雪を持って帰った。コンサート中一緒した友人N氏いわく、彼もアメリカにポールを見に行ったときのお土産にと紙吹雪をかばんに入れて持って帰ったようだが、帰国後しばらくして、彼の奥さんが荷物を整理したら、いきなり紙吹雪が出てきて、部屋中バラバラになったので怒られたとか(笑) 家に帰ったら、ちゃんとビニール袋にしまって保存しようと思った。

 サウンドチェックの時に没収されたレコーダー、コンサート開始前にMPLの金髪女性スタッフが返してくれると言っていて、しかも座席も確認されたので、しばらく待っていると返しに来てくれるかなあと思っても、その気配は全くなし。諦めて、コンサート会場であるミレニアム・スタジアムを引き上げることにした。結局、約3万円もしたレコーダーは没収されたまま。悪いことしようとした罰か…

 同じブロックの離れた別席に座っていたM氏と合流し、コンサート会場を後に。スタジアムの外に出ると、時間はもう11時前。当たり前だが、すっかり真っ暗になっており、東側に見える満月がなんとも美しかった。スタジアムの外は、帰宅の人でいっぱい。まわりの道路も人で埋め尽くされるほどで、ほんとにたくさんの人がポールのコンサートに見に来ていたんだなあと実感。日本で言うと、花火大会が終わった後の行列のような感じだ。

 とりあえず荷物をN氏が宿泊しているホテルの部屋に置いているので、それを引き揚げ、今夜泊まるホテルにチェックインすることにした。残念ながら2泊連続で同じホテルを予約することができなかったので、今夜予約していたのは、ミレニアム・スタジアムから徒歩約10分のところにあるNOVOTEL HOTEL。全世界のチェーンホテルとして有名なところだ。このホテルは日本のHISを通じて予約。直接予約しようと思ったら予約いっぱいだったところ。ホテルのチェックインまでは、同行していたN氏とM氏に付いて来てもらった。途中、今日のポールのコンサートの告知パンフレットが道端に貼られているのに気がつく。町をあげてポールのコンサートを盛り上げようとしていたのが分かる。ホテルに着いてフロントで名前を告げるとチェックイン。11時過ぎたところでチェックインできるかどうか不安だったが、無事にチェックインできた。が、渡された部屋のカードを見ると、自分と違う名前が書いてあった。確かに自分と似ている名前の日本人の名前だが… 違うと説明するのも英語だしめんどくさいし、部屋も変わりないようなので、そのままの部屋に泊まることにした。

 ホテルの部屋に荷物だけ置いて、再びN氏とM氏と合流し、街中のパブに繰り出すことにした。途中、M氏が道路の段差でコケて大丈夫かなと思ったが、ほとんど怪我はなかった模様。やはりコンサート疲れと時差ボケ疲れが出てきていた。

パブに到着する前、N氏とM氏は途中でフィッシュ・アンド・チップスの店によって食料を調達していたが、さすがに11時過ぎの食べ物は辛いものがあったので自分は食料は調達しなかった。途中、ハードロックカフェがあったので、海外旅行したときはいつもハードロックTシャツを買う自分、Tシャツが買えないかどうか店の人に聞くと、もうショップは閉まった、明日11時から販売しますとのことだったので、諦めた。パブ目掛けて町のメインストリート、Mary Streetを歩いていると、レコード屋を発見。ディスプレイには、ポールのレコード・CDやグッズが並ぶ。中でも目を惹いたのは、1990年リバプールでのライブチケット。でもこの店も閉まっており、明日11時開店とのことで、諦めた。

N氏・M氏が昨日も飲んでいたというパブに到着。まだ街中は人が多く、パブ内も座る席を確保するのがやっと。ようやく席を見つけ、素敵な1日となった今日に対して、ビールで乾杯! この店内は耳が痛いくらいガンガンと音楽が鳴っており、たぶんポールのコンサートよりも大きい音かもしれなかったが、その音楽に乗せて踊っている現地人が多かった。20代前半と思われる女性4人組みが隣にいて、そのうちの1人が自分の席を立ち、いきなり踊り始めた! しかも我々に「踊ろうよ!」って声を掛けてくるではないか。我々はコンサート疲れもあり、ゆっくりビールを飲みたいので、笑ってごまかしていると、どこかから男性(もちろん現地人)がやってきて、踊っている女性と踊るために手をつなごうとしたところ、女性が男性の手をパチン! と叩いて払い除けた(笑) そんなこんなで眠たさもピークに達し(日本時間に換算すると、もう朝の9時くらい)、それぞれホテルに帰って眠ることにした。ホテルに帰ればもう夜中1時。今日は疲れたので、ホテルの部屋でさっさとシャワーを浴び、明日に備えてベッドの中に入った。

2010年6月25日(金)  ドーハ〜ヒースロー空港〜カーディフ到着

飛行機は約10時間でドーハに到着。ドーハに到着すれば朝の5時。次のロンドン行きの飛行機出発は8時半だったので、待ち時間は手続きの時間除いても約3時間ちょっと。朝から免税店は開いていたが、早朝から人がいっぱいなのと、出発して間もないのにお土産買っても仕方ないので、出発ゲートのロビーの椅子を並べて横になり、ゆっくり。出発約1時間前になり、ようやく搭乗。ドーハはラウンジから飛行機までの距離が遠く、バスで約10分かけて移動する。そのバスの待合室で、隣にいた香港人らしき集団が「London bridge is falling down…」と歌っていたのが何とも滑稽だった。

飛行機に乗り込み、出発時間になっても隣に人が座らないのでラッキーと思っていたら、出発時間になっても飛行機は離陸せず。また遅れているのかと思いきや、出発予定時刻を30分くらい過ぎてから、また搭乗客が乗ってきて、自分の隣に我体の大きい黒人が着席。おかげさまで席が狭くなった…

ドーハからロンドンまで、そんなに遠くないだろうと思っていたら、なんと飛行時間は8時間… 大阪からロンドンまで、待ち時間含めて約21時間もかかる計算。おかげさまで、ロンドン行きの飛行機の中で、お尻がかなり痛くなった…

大阪からドーハは夜中の飛行だったため、かなりの睡眠が取れてあっという間に到着した感じだったが、ドーハからロンドンまではあまり眠ることができず、ロンドンまでがかなり遠く感じた。

ということで、ようやくロンドンに到着。昼の1時過ぎになっていました。

 

ヒースロー空港に到着し、まずは日本で足らなかったポンドへの両替。レートがどれくらいかなあと両替窓口の前に立って確認していると、老婦が「Are you in line?」と尋ねてきた。無事に英語が聞き取れた自分がちょっとうれしくなった。それから1万円分だけ両替してもらおうと思ったら、両替窓口の係員が「No concession!」と言ってきたが、その意味が分からず。「権利譲渡?」と訳分からなくなったので、1万円だけ両替したいのでできないのかと尋ねると、できる模様。ということで無事に両替完了。どうやら3万円両替したら手数料がかからないってことだったみたい。

ヒースロー空港からカーディフ行きには、ローカル長距離バス「National Express Coach」を日本から予約していて、バス乗り場のVictoria Coach Stationまで、Heathrow Expressという特急列車で行くか、地味にロンドン地下鉄で行くか迷ったが、バスは3時半出発だったので、安価な地下鉄を選択。ところが、地下鉄がVictoria駅に到着したのは3時前。地下鉄駅からバス乗り場まで徒歩15分ほどある模様だったので、重たい荷物かついで急いで乗り場に行ったら、何とかバスには間に合った。ところが窓側の席を確保することができなくて、青年の隣に座ることになった。さすがに国内長距離バスには、自分のような外国人は乗車してない。

バスが出発すると、隣の青年が声を掛けてきた。第一声が「Where are you origin?」。おそらくイギリスに在住している日系人と思ったのでしょう。ポール・マッカートニーを見に行くためにわざわざ日本から来たところと話したら、Penny Laneとかいい曲あるねってその青年は言ってくれた。その後、その青年と片言の英語ながらにいろいろと話した。彼は21歳、大学で環境工学を専攻して、今は無職で職を探しているところ。カーディフには彼女がいて、会いにいくところだと。今イギリス国内はワールドカップで熱狂していて、今夜カーディフではパブの大スクリーンでイングランド戦を見る予定。日本も2勝したねと言っていた。ビートルズよりもワールドカップの方が世界共通言語になってるんだなと実感した。

バスはニューポートを経由し、3時間ちょっとかけてカーディフに到着。カーディフに到着したら、もう晩の7時を過ぎていました。日本との時差が8時間のため、大阪の家からカーディフのホテルまで約29時間もかかった計算になる。カーディフの街中には、ポールのコンサートを宣伝する旗が道路の両脇に立っており、町中上げてポールのコンサートを盛り上げようという雰囲気が伝わってきて、ポールのコンサートを遥々見に来たという実感が湧いてきた。

ホテルに到着すると、エレベータで順番が逆になった老夫婦が受付で順番を譲ってくれ、イギリスのジェントルマン気質を感じた。日本ではなかなかこういった気遣いが見知らぬ人同士でできないなあ。今日泊まるホテルは、3ヶ月前に予約し、バーゲン価格の69ポンドで取ることができた。ホテルのランクは結構良く、シングルルームにしては広かった。ゆっくりとシャワーを浴びてから、翌日のポール・マッカートニーのコンサートチケットを引き換えに、コンサート会場のミレニアム・スタジアムのボックス・オフィスまで出掛けた。今回日本で予約していたチケットは2種類。ticket masterで押さえた通常のチケットと、我慢できなくなって予約してしまったHot Sound Packageという名のVIPチケット。VIPチケットは何と、サウンドチェックまで見られるチケットで、コンサート前のフルコース・ディナーも付いている。

ボックス・オフィスで引き換えることができたチケットはticket masterのみ。会場関係者出入り口付近にボックス・オフィスがあったが、そこで何人かたむろしていた。そしてミレニアム・スタジアムからは何か音楽が聞こえていた。どこかで音楽流しているんだろうという程度にしか思っていなかったのでその場を去ったが、後日、ポールが前日にスタジアムでサウンドチェックをしていることが分かったときは悔しかった。聴いておくべきだった。出入り口付近にたむろしていたのも、出待ちのファンだったんだろう。

今日は時差ぼけの関係でお腹もすいていないし、明日のためにと思って、9時くらいに就寝。しかし、9時になっても外が明るかったのには違和感があった。

 



 6月24日(木) 関西国際空港を出発

 関西国際空港からロンドン・ヒースロー空港への直行便が数年前に廃止されたため、今回のロンドン行きに選択したのは、安価であったカタール航空。この航空会社は晩の12時前に関西国際空港出発のため、出発日は普通に仕事をして終わったあとに飛行機に乗れるということもあって選んだ。経由地はドーハで、ロンドン行きの途中にあるので、そんなに時間がかからないと思っていた。

 仕事が終わって、一旦帰宅して、子供を風呂に入れてから、関西国際空港へ向けて出発。晩の10時前に空港へ到着した。まだ開いていた銀行で200ポンド両替し、チェックイン手続きを行うと、なんと飛行機が予定よりも30分早く出発するとのこと。さらに、座席は搭乗ゲートのカウンターにてお知らせするので、1時間早く来てくれとのこと。旅行保険の手続きを急いで終え、荷物検査を済ませてロビーに1時間前くらいに到着すると、座席指定の書いたチケットに交換してくれたのはいいが、出発が予定よりも30分遅くなりましたとのことで、待ちぼうけ…

いよいよ搭乗となり、まわりを見回すと、「Trapics」やら「Best」のバッヂを付けた60年代の方々が多い。こんな平日に、こんな安価の飛行機乗るのは、引退した人らしかいないんだなあと実感。会話から判断するに、ドイツ・フランス方面に行くツアー客らしい。不安そうな老夫婦が「どうせ日本人のスチュワーデスさんいてるやろ。心配すんな」と言い合っているのが何とも…