John Lennon newsの最近のブログ記事

 

100501.jpg 英ロックバンド、ビートルズ(Beatles)の故ジョン・レノン(John Lennon)が手書きした「ア・デイ・イン・ザ・ライフ(A Day in the Life)」の歌詞が6月19日に米ニューヨーク(New York)で競売に掛けられる。同曲はアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)』(1967年)の最後に収録されている。

 競売大手サザビーズ(Sotheby's)によると、歌詞はページの両面に記されており、訂正した跡も残っている。落札予想価格は50万~70万ドル(約4700万~6600万円)。もとはビートルズの元ロードマネージャー、故マル・エバンス(Mal Evans)氏が所有していた。

 この曲の収録アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、英ヒットチャートで計27週間、米ビルボード200(Billboard 200)で15週間連続でそれぞれ首位を守り続けた。

 またこの曲は当初、麻薬を連想させる歌詞が入っていると批判され、物議を醸した。

Source: AFP 

 ビートルズのメンバーで、熱狂的なファンを多く持つジョン・レノンのかつての家から、当時ドラッグを入れていたと見られる大量のガラスのビンが見つかった。

 ザ・サン紙によると、ケンウッドにあるかつてジョンが住んでいた古い家を、改装するために庭を掘り起こしていた建築業者が、思いも寄らないものを発見したそうだ。発見されたものは、革製のずだ袋に入った、壊れたガラスビンの残骸(ざんがい)。多くのファンの間で語られている、ビートルズの伝説の中では、「ドラッグをやめようとしたジョンが1967年に大量の薬を庭に埋めた」とされている。ジョンが使用したとされる1960年代前後には、ドラッグをビンに入れて保管することが多かったようで、今回発見されたのはジョンが埋めたドラッグなのではないかと言われている。

 今回発見されたものが、本当にドラッグが入っていたビンかなのか、ジョンが使用したものなのか、確認することはできないがファンの間では伝説が明らかになったと盛り上がっているようだ。

Source: シネマトゥデイ

プジョー・シトロエン・ジャポンは、3月19日より先行予約を開始したシトロエン DS3の特別仕様車「DS3 Début Série(デビューセリ)」を紹介するスペシャルウェブサイトに、新コンテンツとしてフランス本国にて放映されているTVコマーシャルを4月7日より公開する。

「Anti Retro(アンチ レトロ)」と題されたこのTVコマーシャルは、ジョン・レノンとマリリン・モンローがそれぞれ出演し、自分らしく生きることや、古いものにとらわれないことの大切さをコメントしている30秒のフィルムで、フランス本国ではオンエア直後より各メディアで取り上げられ大変話題となっている。ふたりが伝えるメッセージは、DS3が表現する"革新"や"ダイナミズム"、"過去を振り返らずに前進する"、といった独創的で強烈な個性を象徴しています。なお、このCMは日本ではウェブ上のみ公開される。

新型DS3の先行期間限定モデル、「DS3 Début Série(デビューセリ)」は、「自分らしい一台」を実現する ビークルパーソナリゼーション(*)を採用しており、プジョー・シトロエン・ジャポン推奨のボディ&ルーフカラーの組み合わせに加え、通常のラインアップにはないアイテムを組み合わせた「この時だけのモデル」。「DS3 Début Série」はシトロエンオフィシャルホームページのスペシャルサイト( http://ds3.citroen.jp/ )で4月30日まで先行予約注文を受付けていますが、3月19日のスタート以来多くのアクセス数をカウントしており、今回の新コンテンツの公開によりさらなる来訪者を見込んでいるという。

「ビークルパーソナリゼーション」とは

‐  ボディカラー/ルーフ&ドアミラーカラーで、異なるカラーを採用したツートーンボディカラー

‐  ダッシュボードカラー

‐  ツートーンアルミホイールカラー

‐  ファブリックシート、またはレザーシート

等を、お客様の好みに応じて組み合わせ、特別の1台を創りあげるシステムです。

Source: autoc-one

リバプール市がこの秋、故ジョン・レノンの生誕70周年を記念し、2ヵ月にわたるカルチャー・イベント<The John Lennon Tribute Serason>を開催する。2010年はレノン生誕70年にあたるだけでなく、没後30年、そしてザ・ビートルズ結成50年、解散後40年でもある。

イベントは市だけでなく、ビートルズ美術館Beatles Story、観光局、キャバン・シティ・ツアー、ロイヤル・リバプール・フィルハーモニック・オーケストラ、ショッピング・センターLiverpool Oneが提携して行なう。

リバプール市長は「ジョン・レノンは20世紀最大のアイコンの1人で、世界中で知られるようになったリバプール人だ。彼の平和に対する不朽のメッセージは現在でも変わらず重要なもので、多くの人にインスピレーションを与えている」、Beatles Storyの館長は「2010年はザ・ビートルズ・ファンにとってビッグ・イヤー。それに相応しいトリビュート・イベントを開きたいと思った理由が分かってもらえるだろう」とコメントしている。

<John Lennon Tribute Season>はジョン・レノンの誕生日である10月9日から命日の翌日の12月9日まで開催。エコー・アリーナでのトリビュート・コンサートやキャバン・クラブでの誕生日記念イベント、映画フェスティヴァル、詩やアートのコンペティションなどが開かれるという。

Source: barks

 

リバプールの博物館ビートルズ・ストーリーで2009年6月から開催されている特別展「ホワイト・フェザー~ザ・スピリット・オブ・レノン」の会期が、2010年末までに延長されました。これはシンシア・レノンとジュリアン・レノンが所有しているジョン・レノンの記念品を集めた特別展で、当初は09年12月末までの予定でした。

Source: BEA-MAIL

 ビートルズ時代のジョン・レノンのインタビュー映像が、フランスの自動車会社シトロエンのコマーシャルに使われたことについて、映像利用を許可したオノ・ヨーコに対し「ジョンを商業的に利用した」と批判が集まっているが、息子のショーンがこれについて反論した。

 ジョンのインタビュー映像はシトロエンの新車「DS3」の販売広告に起用され、シトロエンはジョンについて「世界的で、時代を超えたアイコン」として起用を決意したと語っていたが、一部、「ジョンを金儲けの道具にした」などと、映像の利用を許可したジョンの妻ヨーコに対する批判も出ていた。これに対しショーンは、ツイッターに投稿し、父ジョンの映像利用は「お金のためではなく、父の姿を世界に出し続けるため」として母ヨーコを擁護。「この映像を見たけれど、どうして人々が怒るのかは理解できる。でも、目的は商業的なものじゃないんだ」と綴っている。また、「テレビほど効果的なものは多くない。若い世代に父の姿を露出することに意味がある」と語っている。

Source: シネマトゥデイ

 

シトロエンは14日、英国での『DS3』のリリースに合わせて、テレビCMのオンエアを開始した。CMには、ジョン・レノンとマリリン・モンローという20世紀を代表する2大スターを起用している。

DS3は、2009年9月のフランクフルトモーターショーでデビュー。シトロエンは名車、『DS』(1955 - 75年)に敬意を払いつつ、同社のラインナップ中の高級レンジの意味で「DSシリーズ」を復活させたが、その第1弾として登場したのが、DS3だ。

DS3はコンパクトな3ドアハッチバックボディだが、太いBピラーやワイドなフェンダーが存在感を主張し、ボディ各部にはクロームメッキをあしらう。オプションでルーフパネルに特殊加工を施すことも可能で、例えばアイボリーのレザールーフには、表面に「DS」のマークがエンボス加工で添えられる。

室内の素材は徹底的に吟味して、上質な空間を実現。内装色や素材の組み合わせは豊富だ。例えば、ブラック&パールアイボリーのツートンレザーシートは、高級腕時計のバンドをモチーフにしたデザイン。室内は落ち着いたブラックを基調にしながら、ダッシュボードには明るいパールアイボリーパネルが使用される。このパネルの表面には、ルーフと同様に「DS」のマークをエンボス加工されるなど、小型車としては異例の高いクオリティが特徴だ。

そんなDS3のCMは、「アンチレトロ」がテーマ。ジョン・レノンとマリリン・モンローという20世紀を代表する2大スターが出演。ジョンは「なぜ、過去の真似をする? 自分らしく生きよう」と語りかける。そしてモンローは、「過去を振り返ってばかりではダメ。自分の人生なんだから」と、ポジティブなメッセージを投げかける。

DS3の新しさをアピールした2本のCMは、動画共有サイトで見ることができる。

Source: response.jp 

さいたま市に、2000年にオープンした「ジョン・レノン・ミュージアム」は930日をもって閉館することが発表されました。
「ジョン・レノン・ミュージアム」は次の旅へ出発し、あらたな地に誕生する予定です。その詳細はのちに発表されます。

この10年の節目に発表されたオノ・ヨーコさんのメッセージを掲載いたします。


ジョン・レノン・ミュージアムを愛してくださったみなさまへ

ジョン・レノンは世界中をめぐる運命を持っていました。彼の魂は動くことによって継続していたのです。動かないと死んでしまう。ジョンの精神が宿るミュージアムも動かないとミュージアムではなく、お墓になってしまう。ジョンにはお墓はないのです。彼が息を引き取ったとき、私は「ジョンの葬儀は行いません」と世界に向けて言いました。それは、ジョンの魂が永遠に生き続けることを知っていたからです。

ジョンの魂は、10年を節目にしてここからも離れて行きます̶̶次の旅を見つめながら... 。まず、5年と思っていたのが、みなさんのミュージアムへの愛によって10年になったのです。

このジョン・レノン・ミュージアムを愛してくださったみなさん、深く感謝しています。あなたがた一人ひとりの中にジョンのスピリットが受け継がれ、そのみなさんのスピリットが、世界の平和が実現していくための愛の力になることを信じています。みなさん、ありがとう!

2010 立春

愛をこめて...
オノ・ヨーコ

Source: http://www.dreampower-jp.com

ヨーコ・オノが自伝の執筆を計画しているという。故ジョン・レノンとの関係だけでなく、ザ・ビートルズの解散について彼女側からの話が聞ける興味深い内容となりそうだ。

YahooミュージックUKによると、ヨーコは「やりたいわ。時間を作らないとね。次に出版するものになるわ。5年の間に書くつもりよ」と話したという。

ザ・ビートルズを解散させたと非難されることも多い彼女だが、これまでそのことについて詳しく語ることはなかった。ザ・ビートルズ専門家の1人は、彼女の自伝に対しこう期待を寄せている。「シンシア(レノンの最初の妻)と違い、ヨーコはこれまで彼女の側から見たザ・ビートルズのストーリーや(レノンとの)不倫の真実、結婚について語ったことがなかった。だから、これは待望の著書となるだろう。彼女はいつも、自分がザ・ビートルズを解散させたわけではないと主張し続けてきた。この本は、彼女にとって事実を明らかにするいい機会となるだろう」

ヨーコは数年前は「ザ・ビートルズの(メンバーの)子供たちを傷つけることになるかもしれないので」自伝を書くことに乗り気ではないとの発言をしていた。前妻シンシアはこれまでに『John』『A Twist Of Lennon』などの本を出版している。

ヨーコ関連ニュースとして、彼女はクリスマス前に東京にあるフィリピン大使館を訪れ、2009年9月同国を襲った台風の被害者のために500万円を寄付したという。現フィリピン大使館の建物はかつて小野家が所有しており、ヨーコもここで育った。そういった縁のあるフィリピンでの災難に心を痛め、行動を起こすことに決めたそうだ。彼女は「ここには大切な思い出がたくさんあり、日本のマイ・スイート・ホームだと考えています。フィリピン政府が家を素晴らしい状態に維持してくれていてることに感謝しています」との声明を発表している。

Source: barks

 エンターテイメント界で活躍したスターの名前を刻んだ星型のプレートを、歩道に敷き詰めていることで有名なハリウッドの〈ウォーク・オブ・フェイム〉。同地にあったジョン・レノンのプレートがなくなっており、その場所がビニール・シートで覆われていることがわかった。
 
 イギリスのメディア〈NME.com〉は、盗難にあった可能性もあるのではないかと報じている。また、地元LAのメディア〈LAist〉は、1988年に設置されたこのプレートが痛んできたために一度取り外す必要があったか、もしくは2010年に設置予定となっているリンゴ・スターのプレートを埋めるための場所を確保したのではないか、との推測を立てている。
 
 〈LAist〉は、〈ウォーク・オブ・フェイム〉のマネージメントとメンテナンスを行っている会社にも問い合わせているが、めぼしい情報は得られなかったとのこと。この件の担当者は2010年1月4日まで休暇を取っている模様で、それまでこの騒ぎの真相があきらかになることはなさそうだ。

Source: bounce

1960年代後半、大学生2人が行なったジョン・レノンの6時間にもおよぶインタヴューのフル・ヴァージョンが、41年のときを経て初めて公開されることになった。インタヴューはKeele大学の学生2人により1968年12月2日、レノンの自宅にて行なわれた。当時、それを抜粋したショート・ヴァージョンが学生新聞に掲載されたが、もったいないことに大半はお蔵入り。学生の1人モーリス・ヒンドルのファイルの中で眠っていたという。

ヒンドルはザ・ビートルズのファン・マガジンを通じインタヴューを申し込み、それが無事、本人に伝わり承諾してもらえたそうだ。インタヴュー当日、ジョン・レノンの家の最寄駅に到着したときは、なんとジョン・レノン本人が車で迎えにきていたという。

ヒンドルはこう話している。「ウェイブリッジ駅の外で、スモーク・グラス・ウィンドーのミニ・クーパーが横滑りで停止した。映画『Italian Job』の1シーンのようだった。ドライバー・シートにいたジョン・レノンは、ブルーののリーバイスのジャケットに白いTシャツとジーンズ、汚れた白いスニーカーを履いていた。肩までの髪は真ん中で分けられ、あの有名なメガネをかけた姿は、『White Album』に入っていたカラー写真そのままだった」

自宅では、ヨーコ特製のランチもふるまわれたそうだ。「ヨーコはあまり喋らなかった。この日がジョン・レノンの日になることはわかっていた。彼はよく話した。ヨーコがマクロバイオティックのパンと手作りのジャムを出してくれた短いブレークの時間以外、レノンは6時間、喋りっぱなしだった」

インタヴューのフル・ヴァージョンは『New Statesman』紙のクリスマス・スペシャル号に掲載。作家となったヒンドルは現在、レノンに関する本を執筆中だという。

Source: barks

 元ビートルズのジョン・レノンの遺品を展示する「ジョン・レノン・ミュージアム」(さいたま市)が閉館の危機にあることが分かった。運営会社の親会社である大手ゼネコン「大成建設」(東京都新宿区)が来年十月の閉館を検討し、埼玉県にも非公式に閉館の可能性を伝えたという。入場者減や経済状況の悪化が理由とみられるが、妻オノ・ヨーコさんが世界で唯一公認する博物館であり、ファンから存続を求める声が高まりそうだ。

 大成建設は文化貢献事業の一環として、埼玉県の施設「さいたまスーパーアリーナ」内に同ミュージアムを整備。運営会社「ミュージアム・タイセイ」を設立し、ジョンの生誕六十年の誕生日にあたる二〇〇〇年十月九日に開館した。

 展示は、オノさんの協力を得て、その生涯を振り返る構成で、愛用のギターや、直筆の作詞原稿など貴重な遺品を中心に約百三十点が展示されている。

 関係者によると、週末の一日当たりの来場者数は、開館当初は千~千五百人に上ったが、最近は五百人以下にとどまり、年間で一億数千万円の赤字が続いているという。

 大成建設側はオノさん側と、展示品について来年十月まで十年間のライセンス契約を結んでいたが、契約を更新しない方針。同社側は、ミュージアム運営事業の譲渡を他企業に打診したが、まとまらなかったという。大成建設広報部は「検討しているかも含めて答えられない」としている。

Source: 東京新聞

【オンエア情報】『プラトン』

■『プラトン』
12月7日(月)午後10時~11時分 J-WAVE

毎回ひとつのテーマを深く哲学する番組。本日7日のテーマはジョン・レノンで
す。ゲストはホフディランの小宮山雄飛さんとワタナベイビーさん、『ザ・ビー
トルズ全曲バイブル』などで執筆しているライターの鳥居一希さん。ワタナベイ
ビーさんはライブ終了後に駆けつけるそうです。
http://www.j-wave.co.jp/original/platon/

Source: BEA-MAIL

最近になり、金庫に眠っていたジョン・レノン(John Lennon)の未発表でまれなレコーディング数点が発見された。1980年8月19日に録音されたものだ。ジョン・レノンが死亡する前に自分のバンドと撮った最後のレコーディングのビデオ・テープがあると信じられており、不可解な紛失の仕方をしているが、今回のレコーディングはそれとは別のもの。さらに信じがたいことに、これらは今日まで未発表のレコーディングだった。

 29年前の1980年12月08日、ビートルズのファンはジョン・レノンの背中に4発の銃弾が撃ち込まれたという衝撃的ニュースを聞いた。当時、彼は40歳にしてすでに史上最も影響力のあるミュージシャンのひとりになっていた。その夜、世界は一瞬凍り付き、静寂に包まれたようだった。

 この特別なレコーディングは録音が行われた夜の思い出と共に、ウェブサイト(www.LennonTapes.com)で試聴することができる。

 ジョン・レノンの死亡から29年目の記念日であり、クリスマスも近づくこの時期は、これら貴重でかけがえのないレコーディングを聞き、「平和を我等に(Give Peace A Chance)」と歌ったレノンの心に触れるのに最もふさわしい時だろう。

 発見されたレコーディングは、今回初めてウェブサイト(www.LennonTapes.com)で予約注文による購入が可能になった。希望があれば、予約注文したレコーディングは本人あてまたは友人へのクリスマス・ギフトとして12月23日に電子メールに添付して自動的にダウンロードするように設定することが可能だ。価格はわずか10米ドルで、クリスマスに送る最高のギフトになるだろう。

 ジョンは1970年にビートルズを脱退し、ソロ・アルバムを作りはじめた。今やそれらはすべて古典とも言える存在になっている。最初に作られたのは「ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)」、そして「イマジン(Imagine)」と続いた。「平和を我等に」と「イマジン」は世界中でひとつの運動を起こす力になった。それに続いたのが「幸福なクリスマス(戦争が終わった)」。レノンは1973年に「マインドゲームズ」をリリースした。1974年9月には「心の壁、愛の橋(Walls and Bridges)」およびシングルレコード「真夜中を突っ走れ(Whatever Gets You Thru the Night)」を発表。1975年になると「ロックンロール(Rock 'n' Roll)」がリリースされ、この年の4月18日レノンは最後となったテレビ出演で、「イマジン」を演奏している。同年10月、レノンは「ジョン・レノンの軌跡(Shaved Fish)」をリリースした。

 1980年8月、レノンはニューヨークのヒット・ファクトリー録音スタジオで「ダブル・ファンタジー(Double Fantasy)」アルバムを録音、そしてこのテープはレノンがこのスタジオでバンドとともに過ごした最後の夜に録音されている。

 このレコーディングはジョン・レノンをしのんでリリースされる。ジョン・レノンをしのんで。

Source: fmvs.jp

第53回ロンドン国際映画祭が29日、元ビートルズのジョン・レノンさんの青年期を描いた「Nowhere Boy(原題)」のワールドプレミアで最終日を迎えた。

 ビートルズとしてデビューするまでのレノンさんが描かれているこの映画は、映像アーティストのサム・テイラー・ウッド氏による初の映画監督作品。幼かった自分を母親がなぜ伯母のミミに預けたのか考え、葛藤するレノンさんを、アーロン・ジョンソンが演じている。 

 同監督は、BBCラジオのインタビューで映画の内容がどれくらい事実に近いかを問われると、「事実にもいくつかのバージョンがあり、伯母のミミに聞く話と、母のジュリアに聞く話は異なる。出来る限りは、事実に近づけるようにした」と語った。

 同映画祭では、16日間の期間中に長編映画200作品が上映され、新たに設けられた最優秀作品賞に、フランス映画の「A Prophet(英題)」が選ばれた。

Source: ロイター

このブログは、Paul McCartney ポール・マッカートニーやThe Beatles ビートルズ及びその他元ビートルズのメンバー(John Lennon ジョン・レノン, George Harrison ジョージ・ハリスン , Ringo Starr リンゴ・スター )の関連情報をアーカイブしたブログです。彼らの音楽のカバーCD、彼らを扱った雑誌やイベント情報も掲載します。
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